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生者と死者
せいじゃとししゃ |
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作品ID | 47872 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第二卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年6月30日 |
初出 | 閑古鳥「新女苑 第一巻九号」1937(昭和12)年9月号<br>山茶花など「新女苑 第二巻第一号」1938(昭和13)年1月号 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 杉浦鳥見 |
公開 / 更新 | 2020-12-28 / 2020-11-27 |
長さの目安 | 約 26 ページ(500字/頁で計算) |
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閑古鳥
[#改ページ]
或る夏、一つのさるすべりの木が私を魅してゐた。ホテルの二階の窓から、私は最初その木を認めた。其處からは、丁度物置かなんぞらしい板屋根ごしにその梢だけが少し見えてゐたので、私はそれをホテルの木だとばかり思つて、ときどき何といふこともなしにそれへ空虚な目をやつてゐただけだつた。……或る日、ホテルの裏の水車の道の方へ散歩に行つて歸つてきた私はいつものやうに裏木戸から這入らうとすると、その日はどうしてだかそれが閉つてゐたので、仕方なく、いつもあまり通つたことのない、ホテルの横の、ギヤレエヂや運送店などのある、狹い横町を拔けて行かうとした時、私はふと道ばたに置かれてある一臺の空の荷馬車の傍らに、一本の美しい樹木の立つてゐるのに氣がついた。はじめにその根かたにいくつとなく眞つ白な花が散らばつてゐて、それが何とも云へぬ好い匂を漂はせてゐるのに氣がついて、それから漸つと注意深く見上げてみると、その青い葉ばかりに見えてゐた樹木は點々とその眞つ白な花を咲かせてゐた。それはこんな山間の村には珍らしい種類のさるすべりだつた。その上、その葉の茂みを透かしながら、籬の向うのホテルの物置小屋ごしに、私の部屋の窓が見えてゐた。私はこんなところにあらうとは思はなかつたこの美しいさるすべりの木を、それまで物置の隅に立つてゐる何の變つたところもない木だとばかり思つてゐたのだつた。……私はさるすべりの木がホテルのものとも、前の運送店のものとも、又その筋向うの煙草屋のものともつかず、三方でそれを自分のところのものだと主張してゐる擧句の果、いまだにそんなところに打ち棄てられたままにされてゐるのだと云ふ話を聞いたのは、夏ももう末近くなつてからだつた。それは私にはいかにもこの村らしい――それまで昔の俤もないやうな廢驛になり果ててゐたのが、近頃急に避暑地として發展し出してゐるこの村らしい插話の一つに思へたものだつた。……さういふ噂はともかくとして、その日からと云ふもの、一夏ぢゆう、その木は私を魅してゐた。毎日、私は少年時の思ひ出に充ちた小説を書き續けながら、ときどき筆をおいては、窓の中から、絶えず花をつけてゐるその木を物置小屋ごしにぼんやりと眺めてゐた。さうしてときをりその木の下をギヤロツプで通り過ぎる馬の足音に驚かされるのだつた。やがて木の蔭から、籬ごしに、眞つ白な乘馬服をきた少女が快活に馬を驅つてゆく姿が見え出した。そのうしろからは、いつもきまつて二三人、色とりどりなジヤケツトをきた青年達が自轉車に乘つて、何やら叫びながら、ついて行つた……
*
そんな風にしてはじめてその木を見つけたその數年前と同じ場所に、恐らく殆ど誰からも氣づかれずに、一夏ぢゆうこつそり咲いてゐるそのホテルの裏のさるすべりの木の傍らに、以前とはす…