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七つの手紙
ななつのてがみ
作品ID47875
副題或女友達に
あるおんなともだちに
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「新潮 第三十五巻第八号」1938(昭和13)年8月号
入力者tatsuki
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2020-05-28 / 2020-05-03
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



一九三七年九月十一日、追分にて
 お手紙を難有う。私達の仲間のものはもう殆ど此村から引き上げて行きました。さうしてこれからは、この小さな村の何もかも、みんな私が一人占めです。
 夏の間、みんなでよくおしやべりをしにいつたあの栗の木、――さういふ私達の午後のために涼しい木蔭をつくつてゐてくれた、あの栗の木の下に、私は二三日前から、一人でもつて本や紙を一かかへ抱へていつては、そこで山蟻などを殺しながら、本を讀んだり、手紙を書いたりしてゐます。こんな事を一週間ほども續けてゐるうちに自分の考へをやをら仕事の方へ向けて行かせようといふのが、私のいつもの手。――きのふの午後も、今かうやつて貴方に手紙を書いてゐるこの木蔭に寢ころびながら、私はアベラアルとエロイィズの手紙の事を書いた本に讀みふけつてゐました。あのエロイィズの純粹な場合、――既にもうアベラアルとの間に一人の子までなしながら、妻たらんよりは、戀人たらんことを欲して、アベラアルの求婚を一時斥けようとまでしたエロイィズの心意氣、――それからさういふ二人の戀が世間から攻撃の的となり、遂に別れ別れに修道院に入つてから、數年後再び二人が取りかはすやうになつた手紙の中の、相手を思ひ切らせて神のみに仕へようとしながら、しかも自ら相手を思ふのを禁じ得ずして惱みもだえる彼女の切なげな姿、――さういふエロイィズの歎かひが、數世紀後、その中に再び同種の小禽の叫びのやうに認められる、あの葡萄牙尼の苦しげな手紙、――そんな昔の不幸な戀人たちの殘していつた手紙だとか、或は日記だとかを、私はこの頃その一つを殆ど身から離さない位にしてまで讀みふけつてゐるのです。
 實を云ふと、私はこんどの仕事には、さういふ手紙や日記を殘していつた昔の不幸な戀人たちの一人を取り上げて見たいのです。さう、まあ王朝時代のものなら申分ありませんが、その頃の不幸な婦人たちの殘していつた多數の日記や家集のうちに、それを私がちよつと換骨奪胎しただけでそのまま私の好みの物語になつて呉れるやうなものがありはしないか知らん? そんな日記や家集の中で、彼女たちの涙ぐましさの中からぢつと我々を見つめてゐるやうな、そしてそれをしばしば手にすることもあつた學者達はそんな目ざしには少しも氣づかなかつたので、反つて我々には、さういふ彼女たちの歎かひがそつくりそのまま、見知らぬ小禽の叫びにも似て、一節々々くつきりと認められると云つたやうなものが、かういふ私のために殘つてゐて呉れさうな氣もします。これから一つさういふ日記やら家集やらを漁るつもりです。(大體もう二つ三つ見當をつけてはゐるのですが……)
 末筆ながら、私の健康のことをいつも御心配下すつて難有う。しかし、山梔子孃の手紙に貴方が身體の弱いのに無理ばかりしてゐるといつて氣づかつて來ましたが、かうやつて山の中で氣ままにしてゐる私はと…

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