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ふるさとびと
ふるさとびと
作品ID47876
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第三巻」 筑摩書房
1982(昭和57)年7月30日
初出「新潮 第四十巻第一号」1943(昭和18)年1月号
入力者tatsuki
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2019-12-28 / 2019-11-24
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 おえふがまだ二十かそこいらで、もう夫と離別し、幼兒をひとりかかへて、生みの親たちと一しよに住むことになつた分去れの村は、その頃、みるかげもない寒村になつてゐた。
 淺間根腰の宿場の一つとしての、瓦解前の繁榮にひきかへ、今は吹きさらしの原野の中に、いかにも宿場らしい造りの、大きな二階建の家が漸く三十戸ほど散在してゐるきりだつた。しかもそのなかには半ば廢屋になりながら、まだ人の棲んでゐるのがあつたり、さすがにもう人が棲まずになり、やぶれた床の下を水だけがもとの儘せせらぎの音を立てて流れてゐるやうなのも雜じつてゐた。
 村の西のはづれには、大名も下乘したといはれる、桝形の石積がいまもわづかに殘つてゐる。
 その少し先きのところで、街道が二つに分かれ、一つは北國街道となりそのまま林のなかへ、もう一つは、遠くの八ヶ岳の裾までひろがつてゐる佐久の平を見下ろしながら中山道となつて低くなつてゆく。そこのあたりが、この村を印象ぶかいものにさせてゐる、「分去れ」である。
 その分去れのあたり、いまだに昔の松竝木らしいものが殘つてゐたり、供養塔などがいくつも立つたりしてゐる。秋晴れの日などに、かすかに煙を立ててゐる火の山をぼんやり眺めながら、貧しい旅びとらしいものがそこに休んでゐる姿を今でもときどき見かけることもあるのだつた。
 おえふの生れた家、牡丹屋は、もとはこの宿の本陣だつた。何もかも昔のつくりで、二階はいかめしい出格子になり、軒さきに突きでた木彫りの蒼龍にも、まだ古さびた色が何處やらに、ぼんやりと殘つてゐた。……

 おえふたちは小さいときから、この生れた家を離れたきりでゐたのだつた。――もともと、おえふの父の草平といふ人は、郡はおなじでも、ここから五里ほど離れた或村の赤屋敷といはれてゐる舊家の出で、牡丹屋とは血つづきだつたが、此の村の人ではなかつた。が、明治のはじめ頃にその牡丹屋の主人がまだ稚い子を殘して亡くなると、後見に頼まれて、瓦解以來何度も倒れさうになつてゐたその世帶を引き受けることになつた。しかし、牡丹屋は、――といふより、この古い宿全體がいよいよいけなくなるばかりだつた。――そこへ鐵道が出來た。が、村は素通りをされる。――おえふの父の、草平は、その預つてゐる牡丹屋をみすみすその儘仆れるのにまかせてゐるときではないと思つた。そこで自分の一存で、隣村の原野のまんなかに出來た停車場の前へ、率先して、牡丹屋の裏にあつた厩舍をそつくりそのまま移した。さうしてそこで蕎麥を賣り、汽車辨を一手にまかなつた。それが見事にあたつて、牡丹屋は徐々に立ちなほり出した。
 おえふも、弟の五郎も、その驛前にできた新店から、たつつけ姿で、舊道のはうにある寺を校舍にした小學校へかよつた。
 そこの村も村で、それまではほかの宿場とおなじやうな運命をたどつて、ひどく衰へ、みるかげもない一…

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