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四葉の苜蓿
よつばのうまごやし
作品ID47881
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「新女苑 第五巻第十号」1941(昭和16)年10月号
入力者tatsuki
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2018-12-28 / 2018-11-24
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 夏に先立つて、村の會堂の廣場には辛夷の木に眞白い花が咲く。まだ會堂に閉されてゐて、その花の咲いてゐる間、よくその木のまはりで村の子供たちが日曜日など愉しさうに遊んでゐる。その花が散つて、すつかり青葉になつた頃、その村に夏を過しに來た人々がその會堂に出たりはひつたりしはじめる。
 その頃から、こんどは村の古いホテルの裏の塀に沿つて、村で一番美しいと云はれるさるすべりの木がこれも眞白い花を咲かせる。ホテルではその木を昔からホテルのだと云ひ、その木と道ひとつ隔てた便利屋では昔から自分の家のだと云ひ張つて、雙方讓り合はうとしないものだから、もう十年ばかりもホテルの塀の外に、便利屋の鼻つ先きに、どつちつかずの目立たない場所に、村でも一番美しいさるすべりの木だのに人々からもあまり氣づかれずに、そのためかへつて一層そのつつましい美しさを増させながら、いつも夏のはじめになると咲き續けてゐた……。



 英吉利の片田舍にでもありさうな inn と云つた感じの、家具なども古くて底光りのしてゐたやうなその村の古いホテルが、とうとう廢業して人手に渡つたといふ話を聞いたのは去年の夏のはじめだつた。
 買手はベッドや他の家具類はすつかり競賣にして建物だけをよそへ持つていつて工場に直してしまふ積りだとか。それもまた已むを得まい。だが、それにしても、ちよつと惜しいホテルだつた。私はそのホテルで一夏厄介になつて、「麥藁帽子」といふ小説を書いたこともあつた。又、そのときの日記を小品風に書いたりした。その翌年の夏も私はよくそのホテルに食事をしに行つたが、そのとき私は懇意になつた年よりのボオイから冬になつて村が雪に埋まり出す頃、外人たちがクリスマスをしにやつてきて、このホテルが又一ぱいになるといふ話を聞いて、ちよつと羨ましかつた。そこで私はその年の冬、わざわざクリスマスの前の日に東京からやつて來た。が、その年の冬が温かかつたのか、こんな山の中にも雪はまだ少しもなく、そしてホテルに著くと全然人氣がなくてひつそりしてゐた。それでも案内を乞ふと、やつと奧の方からおかみさんが出て來て、今は休んでゐますからと無愛想に斷わられた。いかにも休んでゐることは事實らしいので、私はしかたなしにそのホテルを出て、雪がなくても寒いだけは一人前に寒い村のなかをつまらなさうに歩いて見てから、又夕方の汽車に乘つて、隣りのO村へ行つて懇意な宿屋に泊めて貰つた。そこで聞くと、その村には先頃から疑獄事件が起つて、村長以下だいぶ村の顏役たちが上げられてゐる最中ださうだつた。そのホテルの主人もその一人だつたのだ。――
 いかにも樂しさうなクリスマスの話を聞いてせつかく東京から出て來ても、その年はそんな具合で自分も馬鹿な目を見せられたが、考へて見ると、その頃から此のホテルは影が薄くなつてゐたものと見える。けふからそのホテルで家…

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