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「古代感愛集」読後
「こだいかんあいしゅう」どくご |
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作品ID | 47893 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年9月30日 |
初出 | 「表現」角川書店、1948(昭和23)年8月25日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 染川隆俊 |
公開 / 更新 | 2010-04-29 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 4 ページ(500字/頁で計算) |
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お寒くなりました しかしそれ以上に寒ざむしい世の中の變り果てた有樣のやうでございますね ときどき東京に行つて歸つてきた友人などに東京の話を聞くたびに、先生などいかがお暮らしかと、心の痛いやうな思ひをいたします さういふ折など、いつぞや頂戴いたした御手づつの「古代感愛集」を披いては、さういふ一切を超えられた、先生の搖ぎもなさらぬやうなお姿を偲んでは、何かと心を擾しがちな自分の氣おくれを叱つて居ります
かういふ現在において、「古代感愛集」はますます私には何よりも得難い書物となりました
近在の村に住んでときをり私を訪ねてくるフランス文學をやつてゐる友人にこの書物を見せましたら、ことにその長篇の詩に感動いたし、「ポオル・クロオデルの Ode のもつてゐるやうな、何んといふか……『偉大さ』といつたやうなものがありますね」と言つて居りました
クロオデルの Ode のもつ、あの汲めども汲めども盡きずに滾々と涌きあがつてくるやうな詩句の豐かさは、無限なるもの――「神」のうちにその源泉があるからでありませうが、それと等しいことが「古代感愛集」の諸篇のもつ神さびた感じ、その詩句の重量感、ことに長篇の詩のあふれるばかりに充實した感じなどに對しても言へるやうに思へます
さうしてさういふさまざまな感じが相俟つつて、私には、この書物が私たちの持ち得た唯一の宗教的な詩集として貴重なものに思へさへいたします(「古代感愛集」の宗教的な感じの源泉を深く究めることは私たちに課せられた大きな問題のひとつとなることでせう 少くとも私はこれから自分のすべき研究の一つの方向をそのはうへ向けて行く決心でゐます)
「古びとの島」などの南の海のなかの小さな島にいまも殘つてゐる古代の姿のかそけさ、「足柄うた」などの浪漫的な稀有な美しさ、また「幼き春」などの幼時思慕篇の鏡花のそれを思はせるばかりのなつかしさ、――さういふ諸篇のそれぞれの美しさに、讀む度毎に、感動を新たにいたしてをりますが、就中、「乞丐相」のアイロニイのきびしい美しさのうちには、先生の現在の深い嘆息がきかれるやうで、讀むたびに、何んともいへず惻々とした氣もちになつて參ります 又、私自身の現在の心境の象徴としては「なつぐさ」の小篇がことにありがたく、
叢の古代日本の よろしさ――。
鴨頭草の 縹深き瞳――
たびらこの空色の――小き紋章――。
さういふ矮叢のなかに見出される、古い日本のいじらしい美しさに心を惹かれては、そのあとに來る「おのれのゆゑ知らぬ氣おくれを叱りて、一擧に薙ぎ仆して火をかけぬ」といふ句にはつとさせられます 私のうちにある、ただいたづらに古い小さなものをなつかしまうとする、心の傾きへの、先生のお叱りのやうにさへ思はれます
御本のこと、いろいろ勝手なことを書いてしまひまして、御赦し下さい 私はこの冬になつてから、かへつ…