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姨捨記
おばすてき
作品ID47900
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「文學界 第八巻第八号」1941(昭和16)年8月号
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-03-14 / 2014-09-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「更級日記」は私の少年の日からの愛讀書であつた。いまだ夢多くして、異國の文學にのみ心を奪はれて居つたその頃の私に、或日この古い押し花のにほひのするやうな奧ゆかしい日記の話をしてくだすつたのは松村みね子さんであつた。おそらく、その頃の私に忘れられがちな古い日本の女の姿をも見失はしめまいとなすつての事であつたかも知れない。私は聞きわけのよい少年のやうにすぐその日から、當時の私には解し難かつた古代の文字で書綴られたその日記のなかを殆ど手さぐりでのやうに少し往つては立ち止まり立ち止まりしながら、それでもやうやう讀みすすんでゐるうちに、遂に或日そのかすかな枯れたやうな匂の中から突然ひとりの古い日本の女の姿が一つの鮮やかな心像として浮かんで來だした。それは私にとつては大切な一瞬であつた。その鮮やかな心像は私に、他のいかなるものにも増して、日本の女の誰でもが殆ど宿命的にもつてゐる夢の純粹さ、その夢を夢と知つてしかもなほ夢みつつ、最初から詮めの姿態をとつて人生を受け容れようとする、その生き方の素直さといふものを教へてくれたのである。
 さうやつて少年の日に「更級日記」を讀み、さういふ古い日本の女のひとりに人知れぬ思慕を寄せてゐたのは、しかし私の心の一番奧深くでだつた。私は誰にもその思慕については自分から言ひ出さうとはしなかつた。只一度、私は何かの話のついでに佐藤春夫さんの前でちよつとその事に觸れたが、そのとき佐藤さんもこの日記を大へん好んでゐられることを知ると、反つて私は何んだか氣まりの惡いやうな氣がして自分の思つてゐることを餘計しどろもどろにしか言へなかつた事をいまだに覺えてゐる。それから數年立ち、他の仕事などに取り紛れて、いつかこの日記からも私の氣もちの離れ出してゐた頃、保田與重郎君がこの日記への愛に就いて語つた熱意のある一文に接し、私は何かその日頃の自分を悔いるやうな心もちにさへなつてそれを感動しながら讀んだものだつた。それ以來、再びこの日記は私の心から離れないやうになつてゐた。

          [#挿絵]

 ここ數年といふもの、私はおほく信濃の山村に滯在して、冬もそこで雪に埋れながら越すやうな事さへあつた。それらの日々は、私のもつて生れたどうにもならぬ遙かなるものへの夢を、或は其處の山々に、或は牧場に、或はまた樺や樅などの木々から小さな雜草にまで寄せながら、自分で自分にきびしく課した人生を生きんと試みてゐた日々にほかならなかつた。私は或晩秋の日々、そこで「かげろふの日記」を書いてゐた。私がさういふ孤獨のなかでそんな煩惱おほき女の日記を書いてゐたのは、私が自分に課した人生の一つの過程として、一人の不幸な女をよりよく知ること、――そしてさういふ仕事を爲し遂げるためにはよほど辛抱強くなければならぬと思つたからであつた。そして私の對象として選ぶべき女は、何か日々の孤…

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