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我思古人
がしこじん |
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作品ID | 47902 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第四巻」 筑摩書房 1982(昭和57)年8月30日 |
初出 | 「甲鳥 第八輯」甲鳥書林、1941(昭和16)年11月 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 植松健伍 |
公開 / 更新 | 2018-05-28 / 2018-04-26 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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この夏も末になつてから漸つと「晩夏」が校了になり、ほつと一息ついてゐたら、甲鳥書林から何だか部厚い小包が屆いた。何かと思つたら、一束の檢印紙だつた。ひどく凝つた檢印紙で、一枚々々丁寧に印を捺さなければならないやうな代物なので、やれやれと思つた。その上、これまでの本には大抵それですませてゐた「辰雄」といふ無趣味な印ではすこし檢印紙の方がかはいさうな氣がするので、ふいと妻の亡父が所藏してゐた支那の古い印のことを思ひ出して、その中で私の好きな印を二つ三つ東京の家から送つて貰ふことにした。
そんなふとした思ひつきで、こんな支那の古い印などを使つてみたので、何もこれは私の新しい趣味なのではない。私の先生たちは――室生さんでも、芥川さんでも、佐藤春夫さんでも、みんな獨自の文人趣味を打ち樹てられてをられるが、私はまだそれを解することさへ出來ない。まして支那の古い印の好し惡しなどは何處にそれを求めていいのだかも見當がつかない。妻の亡父の所藏して居つた十幾顆の印は彼が廣東に在つた頃何かの革命の際急に所在をくらまさなければならなかつた支那の某大官が纔かな金で彼に讓つていつた品ださうで、明清二代の名家が刻したものが多いといふ證明附のものである。そのなかでどれが好いのだか私には一向解らないし、又、さういふものの解る人にはまだ一度も見て貰つてゐないが、ただ何んとなく私にも親しめて、好きになれさうなのが二つ三つ無いでもない。一番好きなのは「我思古人」といふ印だが、これは大きさや文句が丁度いいので、私はそれを讓り受けて自分の藏書印にいつか使ひたいと思つてゐる。いま、それが手許にないので、刻した人の名前はちよつと思ひ出せないが、前に友人の小山正孝君に調べて貰つたら、なんでも明の時代の好い詩人の作品らしい。その印のことは他日それに就いて書く機會がきつと私にあるだらう。
その次ぎに好きなのが、こんどの檢印に用ひた「一琴一硯之樂」といふ可愛らしい小さな印である。
一琴一研高士尚志
携琴登山滌研曲水
吉金樂石興味何如
竝置芸[#挿絵]聊以自娯
丙子冬日琴生仁兄大人正
曼生刻
と細字で刻せられてゐる。これも確か明末の陳曼生といふ詩人の作――何も私がこんどの本にこんな風雅な印を用ひたのは深い意味があるわけではない。ほんの氣まぐれな思ひつきに過ぎない。それ以上に、いはば窮餘の一策である。
私は晩夏の一日の大半を、妻と一緒に、この印を捺すことに過ごした。いつもなら味も素氣もなく捺してしまふことが多いが、こんどの本は一つ一つ丁寧に「琴」だとか「硯」だとかいふ文字なんかに氣を配りながら、捺したりしたせゐか、なんだか檢印なんといふ俗中の俗なる爲事を續けながら、しかもいささか俗氣を離れた半日を過ごしたやうな氣がした。これは恐らく支那の名印の自らの影響であらうか。
いづれそのうち以上二顆の印を他の印と…