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高原にて
こうげんにて
作品ID47908
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「芥川龍之介全集 第一巻月報」1934(昭和9)年10月15日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2011-04-12 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昨日の夕方、輕井澤から中山道を自動車で沓掛、古宿、借宿、それから追分と、私の滯在してゐる村まで歸つてきたが、その古宿と借宿との間には高原のまん中にぽつんぽつんと半ばこはれかかつた氷室がいくつも立つてゐて、丁度いまそのあたり一面に蕎麥の白い花が咲きみだれてゐて、何とも云へず綺麗だつた。この地方特有らしい、その氷室の建物が大へん芥川さんのお氣に入り、かういふ高原にああいふ恰好の別莊を立てたいなどと云つてゐられたので、私はいつとはなしにその前を通る度にそれを一種の愛著をもつて眺めるやうになつてゐたのである。
 芥川さんが輕井澤にいらしつたのは確か大正十三年と大正十四年で、十三年の夏は私は金澤の室生さんのところに長く滯在した歸りにちよつと此處に寄つたきりだつたが、翌年には私もずつと滯在し、毎日のやうにお會ひしてゐた。その十四年の夏もなんだか雨が多くて、ちやうど今年のやうな不順な陽氣であつた。それでも私はよく芥川さんのお伴をして峠や近所の古驛などを見てまはつた。ことにいま私のゐる追分宿などが、すつかり寂れ切つたなりに、昔の面影をそつくりそのまま殘してゐるので一番お氣に入られてゐたやうであつた。輕井澤のやうなハイカラなところも一方ではお好きらしかつたが……
 或る明るい眞晝、私達が自動車でこのへんまで來かかると、硝子にしきりに何か青いものがぶつかつてくるので、何だらうと思つてよく見ると、それが無數の、瑠璃色の翅をした小さな蝶だつたりしたこともあつた、――そんなことを私は昨日自動車の中で一人でひよつくり思ひ出してゐた。
 又、夏の末になつてから、外人に賣りつけに立派な洋犬を何匹もつれてきてゐた犬屋が、輕井澤ホテルで賣殘りの犬のオークションをやつたことがあつた。有名な犬嫌ひの芥川さんも私を連れてそれを見に行かれた。そのとき私は芥川さんの手帖にその犬の名前だの値段だのをそばから書かせられた。數年前、全集「別册」編纂のため、それらの手帖を整理してゐるうちにその箇處に出合ひ、その私自身の書いたものまでも寫して置くべきかどうかにかなり迷つたことがある。そんな箇處の近くには、又、芥川さんが當時思ひつかれるそばから私に話して下さつたコントのやうなもの、――たとへば八百屋の小僧が西洋人の落して行つたパイプを拾つて煙草の代りに玉蜀黍の毛をそれにつめて吸つてゐると云つたやうな話の心覺えのやうなものまでが見つけられたのだつた。

          [#挿絵]

 數日前、千ヶ瀧にゐる友人が私のところに來ての話に、淺間山麓一帶がその氣候とか植物の分布状態から見るとスカンヂナヴィア地方に酷似してゐるといふ話が出て、それから話がスカンヂナヴィアの文學のことに移つて行つたが、私はそのときふと、芥川さんもその北方の文學をかなり愛讀せられてゐたらしいこと――いままで私があんまり氣にもとめてゐなかつたそ…

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