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「鎮魂曲」
「レクイエム」
作品ID47918
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「文藝懇話会 第一巻第十二号」1936(昭和11)年12月号
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-05-10 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ハイネのロマンツェロなどは、數ヶ月の間に病苦と鬪ひながらも一氣に書き上げて、それをはじめから一卷として世に問うたものらしい。ああいふ慟哭的な詩などは一篇々々引きちぎつて讀まされるよりも、一卷として讀みとほすことによつて、我々の感動は別して強まるのである。その他、ヴェルレェンの「叡智」と云ひ、リルケの「時祷書」と云ひ、又コクトオの「プラン・シャン」と云ひ、さういふ連作體の詩としては最高度のものであらう。さういふ一卷をなさずともいい、せめて十篇位でいいから、さういふ連作體の詩の試みも若い詩人たちにやつて貰ひたいと僕は思ふのである。現代詩人の複雜な心情はもはや十行やそこいらの詩の中にははひり切らぬのならば、一篇々々としてはいくら物足らぬところがあつてもいい、それら數篇が相寄つて互に補ひ合ひながら、はじめて一心情を形成する、――さういふのが連作體の詩の特色である以上、野心的な詩人たちには小説などに手を出すよりは、ときどきさういふ詩作をもして貰ひたいのである。それは、海がその深みを加へれば加へるほどその青みを増すやうに、それらの詩を積み重ねれば重ねるほどその心情の凄みを増すやうなものであらしめたい。

          [#挿絵]

 又、野心ある詩人たちには時には長い詩も書いて貰ひたいものである。『四季』などでは、詩は大抵二頁位にきちんと收まつてゐる。ほとんど毎號々々がさうなのである。清潔ないい感じはするが、すこし几帳面すぎはしまいかと思ふ。ときどきは何頁めくつても、その詩がいつまでもいつまでも續いてゐる、――讀んでゆけばゆくほど、讀者の心は引き裂かれさうになり、或は云ひやうもなく靜まつてゆく、そんな詩が讀みたいものである。現代ではそんな詩をものすことはますます不可能に近くなつてゐる、――さういふ嘆きは誰もかも抱いてゐよう。それだけ、さういふ奇蹟のやうな詩の出現も、野心のある詩人たちには望みたいのである。
 僕はゆうべ、この山の宿で、鞄の中に入れてきたリルケの「鎭魂曲」の英譯本をとり出して、そのうちの「或女友達のために」の一篇を讀んだのである。これは二百七十行からもある長篇である。この春、その原文を辭書と首引きで讀んだときなどは、僕の例の氣まぐれな讀み方では、讀み了へるのに二三日もかかり、それでもまだ半分以上も解らないところを殘したのであるが、――いま、比較的讀みやすい英譯で讀み直してみても、相變らず解つたやうな解らないやうなところが多い。が、ところどころ解し得た詩句からは何ともいへず清冽な光線が發せられてきて、それが依然として暗黒である前後の詩句の上をもかすかに明るませ、それがひよいと一瞬間解つたやうな、しかしまだ何となく腑に落ちないやうな氣もちに僕をさせる工合も、それもまたなかなか愉しいのである。

          [#挿絵]

「リルケがヴォルプスヴェ…

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