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二三の追憶
にさんのついおく |
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作品ID | 47921 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第四巻」 筑摩書房 1982(昭和57)年8月30日 |
初出 | 「向陵時報 第百四十三号」1942(昭和17)年6月7日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 杉浦鳥見 |
公開 / 更新 | 2019-05-28 / 2019-04-26 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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一高の頃のことを考へると、いまでもときをり逢ふことのある友達のことよりか、もうお逢ひできさうもない先生方のことがひとしほなつかしく思ひ出される。……
[#挿絵]
私になつかしい先生の一人は石川光春先生である。あのうすぐらい階段教室ではじめて先生の講義をきいたときは、植物學といふものが實に高尚な學問のやうにおもはれ、急に自分までが大人になつたやうな氣がした。いま考へてみると、それはむしろ私の子供じみた驚きのためだつたのだらう。それは例へば植物學といひながら聞き慣れた植物の名などひとつも出て來ず、細胞の圖などが獨逸語などで説明され、そんななかに突然ゲエテの「色彩論」の學説が紹介されたりしたためだつたやうだ。が、また一つには石川先生の飄然とした風格のある講義ぶりにもよつたのである。他の學科ではそれほど新らしい學問に對する驚異のやうなものは持てなかつたのである。それで今でも、古本漁りなどをしてゐて、ときをりストラスブルガアの植物學の本などが目につくと何か異樣な戰慄を覺える。一高にはひり立ての頃、ああいふ立派な本を買つて勉強してみたいと思つたこともあつたが、別に自分は植物學を專攻するつもりもなかつたので、道樂の本にしては學生の身には少し高價すぎて手が出なかつたのである。まあ今なら買はうと思へば買へないこともないので、氣まぐれにそれを手にとつて、よつぽど買つてやらうかといふ氣になりかけては、しばらくその本を撫でまはしながら細胞の插繪などを見てゐるうち、矢つ張りそんな勇氣がなくなつてしまふ。
もう一人は岩元禎先生である。岩元先生にはじめて教はつたのは三年のときで、アダルベルト・シュティフテルの「ホッホワルド」の講讀をうけた。今でこそシュティフテルも一部の人々に人氣のある獨逸の作家の一人になつてゐるやうだが、その頃はまだ殆ど誰にも知られてゐないやうな不遇な作家だつた。さういふ半ば埋れてゐたやうな作家のものを岩元先生は好んで取り上げられ、一年間、文學にあまり關心をもたない理科の私達に熱心に譯讀して下すつた。先生が深みのあるしはがれた聲で徐かに一人で譯讀せられてゆくのを私達はただ茫然として聽いてゐた。ときどき先生の聲がとだえると、私達は急に緊張して、一層小さくなつてゐた。さういふときはいつも先生が次の言葉の譯し方を考へあぐねながら、私達の上にその烱々たる眼光を、そそがれてゐるのを知つてゐたからである。先生の譯語はいつも嚴格をきはめてゐて「Fichte」は「フィヒテ」といふ木であつて「蝦夷松」とは異る木の名であり、「Tanne」は「タンネ」といふ木であつて「樅」などと譯すとまちがひとせられた。萬事がその調子であつた。「ホッホワルド」は何處から何處まで深い森の中の物語であり、すべての人々や出來事が森の靜寂のなかに溶けこみ、ひとり先生のしはがれた聲のみが…