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花を持てる女
はなをもてるおんな
作品ID47926
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「婦人画報 第三百二十五号」1932(昭和7)年7月号
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2013-06-24 / 2014-09-16
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私がまだ子供の時である。
 私はよく手文庫の中から私の家族の寫眞を取り出しては、これはお父さんの、これはお母さんの、これは押上の伯父さんのなどと、皆の前で一つづつ得意さうに説明をする。そのうち私はいつも一人の見知らぬ若い女の人の寫眞を手にしてすつかり當惑してしまふ。
 いくらそれはお前のお母さんの若い時分の寫眞だよと云はれても、私にはどうしてもそれが信じられない。だつて私のお母さんはあんなによく肥えてゐるのに、この寫眞の人はこんなに痩せてゐて、それにこの人の方が私のお母さんよりずつと綺麗だもの……と、私は不審さうにその寫眞と私の母とを見くらべる。
 其處には、その見知らぬ女の人が生花をしてゐるところが撮られてある。花瓶を膝近く置いて、梅の花かなんか手にしてゐる。私はその女の人が大へんに好きだつた。私の母などよりもつと餘計に。――
 それから數年經つた。私にもだんだん物事が分るやうになつて來た。私の母は前よりも一そう肥えられた。それは一つは、私をどうかして中學の入學試驗に合格させたいと、淺草の觀音さまへ願掛けをされて、平生嗜まれてゐた酒と煙草を斷たれたためでもあつた。そして私の母はそれ等の代りに急に思ひ立たれて生花を習はれ出した。私はときをり、さういふ生花を習はれてゐる母の姿を見かけるやうになつた。そんな事から私はまたひよつくり、何時の間にか忘れるともなく忘れてゐた例の花を持つた女の人の寫眞のことを思ひ出した。その寫眞は私の心の中にそつくり元のままのみづみづしい美しさで殘つてゐた。私はその頃は頭ではそれが私の母の若い時分の寫眞であることを充分に認めることは出來ても、まだ心の底ではどうしてもその寫眞の人と私の母とを一緒にしたくないやうな氣がしてゐた。
 それから更らに數年が經つた。私の母は地震のために死んだ。その寫眞も共に失はれた。――さういふ今となつて、不思議なことには、漸くその二つのものが私の心の中で一つに溶け合ひだしてゐる。そしてどういふものか、よく見なれた晩年の母の俤よりも、その寫眞の中の見なれない若い母の俤の方が、私にはずつと懷しい。私はこの頃では、子供のときその寫眞の人がどうしても私の母だと信じられなかつたのは、その人を自分の母と信ずるにはその人があまりに美し過ぎたからではなかつたかと解してゐる。その人がただ美しいと云ふばかりでなしに、その容姿に何處といふことなく妙になまめいた媚態のあつたのを子供心に私は感づいてゐて、その人を自分の母だと思ふことが何となく氣恥しかつたのであらう。さう云へば、その寫眞のなかで母のつけてゐた服裝は、決して人妻らしいものでもなけれは、また素人娘のそれでもなかつたやうだ。今の私には、それがどうもその頃の藝者の服裝だつたやうにも思はれる。そんな事からして私はこの頃では私の母は私の父のところへ嫁入る前は藝者をしてゐたのではない…

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