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春浅き日に
はるあさきひに
作品ID47927
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「帝国大学新聞 第四百七十一号」1933(昭和8)年3月20日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2013-09-18 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 二三日前の或る温かなぽかぽかするやうな午後、僕はうかうかと三宅坂から赤坂見付まで歩いてしまつた。あそこの通りは前から好きだつたが、そんな風にぶらぶら歩いたのは實に何年ぶりかだつた。僕は青山にゐる友人の家を訪問する途中だつたが、三宅坂でいくら待つてゐてもバスが來ないし、それにいかにも春先きらしい氣持ちのいい天氣だつたので、あとで疲れるとは思つたけれど、ついうかうかと歩きだしてしまつたのである。一つはひさしく通つたことのないそのへんをちよつと歩いて見たいやうな氣がしたからでもある。……
 僕はごく小さい時分に一度母に連れられてこの近くの豐川稲荷までお詣りにきたことがあつた。(僕の母はときどきそこへお詣りをしてゐた。)そのとき僕の母は電車の窓から丁度このへんの或る小路を指して、あそこでお前が生れたのだと幼い僕に教へてくれたのであつた。この通りが何んとなく僕になつかしくなつたのは既にその時分かららしい。僕はいまはもうその小路がどれだつたのかすらてんで分らない。しかし分らないなりに、この近所は割合に昔のままになつてゐるやうに思へるので、ひよつとしたら僕の生れた家もどこやらそつくりそのまま殘つてゐさうな氣がされてならぬ……。
 で、その午後も僕はその通りをぶらぶら歩きながら、何氣なしに、しかし一軒一軒に目をやつてゐたものと見える。そのうちに或る一軒の古びた洋館が僕の目にはひつた。そこの窓には明治時代風な鎧扉が深く閉ざされてゐた。そして枯れた蔦のからんだその表札には下手な日本字で「マリ・マラレ」と横に書かれてあつた。僕にはそんな外國人の名前までもなつかしいやうな氣がした。
 僕の生れたのは事實そのへんだつたのだらうが、僕はごく小さい時分から向島に育つた。なんでも最初は土手下の小家に母と二人きりで住んでゐたのださうである。或る年の夏の夜、その土手の上で打ち上げてゐた花火が近所の茅屋根に落ちて、そこらの家々が火事になつた。そのとき僕の家も半燒けになつたのであつた。僕がまだ三つぐらゐの時のことだつたらしいが、僕の最初の記憶は實にその花火の夜に始まる。それを機會に僕たちの家はその土手下から須崎町の奧の方へ引越した。そしてそこに僕が小學校へはいる頃まで住まつてゐた。しかし明治四十何年かの洪水の折にその家は屋根まで浸つてしまつた。そのとき僕は縁のすぐ下まで水が上つてきてゐるのにおもしろがつて縁側から小さな網で目高を追つてゐたことを覺えてゐる。その洪水後、僕たちは水戸樣の裏の小梅町に引き移つた。その當時の家は震災のとき燒けてしまつたが、僕たちのいま住んでゐる家は以前と同じ場所にある。(そしてもとの水戸樣の屋敷はいま隅田公園の一部となつてゐる。)そんなやうに、幼い時からずつと隅田川のほとりで育つてきた僕だつた。……
 もう數年前になるが、吉村鐵太郎がはじめて僕の家に遊びに來てくれたとき…

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