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文学的散歩
ぶんがくてきさんぽ |
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作品ID | 47932 |
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副題 | プルウストの小説構成 プルウストのしょうせつこうせい |
著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年9月30日 |
初出 | 「リベルテ 第二号」1932(昭和7)年12月1日 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2013-03-31 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 6 ページ(500字/頁で計算) |
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私は先頃プルウストについてエッセイを書いた時、プルウストの小説の構成については敢へて觸れようとしなかつた。その時はまだプルウストの小説を切れぎれにしか讀んでゐなかつたから。そして小説の構成などと云ふものは全體を通讀して見た上でなければ分るものではあるまいから。しかし私はそれを切れぎれに讀みながら、一體この小説はどんな構成を持つてゐるのであらうかと時々氣になつた。そしてプルウストのことを批評したものなどを讀む場合もそれに注意をしてゐたが、あまりそれに觸れたものは見當らなかつた。そのうちに私はバンジャマン・クレミユの「二十世紀」といふ本の中の批評に出遇つた。それにプルウストの小説の構成を論じた一節があるが、それが何と云ふ理由もなしにいつの間にか、私の懷抱しはじめてゐた「無構成の構成」説を打破して呉れた。他日私がこの小説の全體を讀んだ上でも果してその説に無條件で同意し得られるかどうかは分らないが、今假りにその説を信ずるとして、ざつと此處に書き止めて置かう。
バンジャマン・クレミユは「失はれた時を求めて」の構成の基本となつてゐるものを大體三つ擧げてゐる。
第一はピラミッド式である。作品の中心をなしてゐる主題が、ルネッサンス期の大畫家の用ひた「ピラミッド」式構圖によつて展開して行くと云ふのである。小説の冒頭においては、完全に隔離してゐる二つの環境が示される。それを僅かに結びつけてゐるのはスワンである。その一つの環境はコンブレエであり、他の環境はヴェルデュラン家のサロンである。ゲルマント家の人々、「私」の一家、スワン家の人々、ヴァントゥィユ、ルグランダン、フランソワズ等はコンブレエに屬する。コタル、サニエット、エルスティル、ブリショオ、モレル等はヴェルデュラン家のサロンに屬する。「コンブレエの方」は、その儘巴里に移される。「私」の兩親がアパアトメントを借りてゐる。その同じ家の中にヴィユパリジス侯爵夫人は別のアパアトメントを借りてゐる。ゲルマント家の邸宅は或る庭の奧にあるがその庭に面してジュピアンが部屋借りをしてゐる。次第に二つの環境が接近して行く。バルベックの海岸がその接近を助ける。遂に巴里でそれが成就する。ゲルマント家又はヴェルデュラン家に於ける各の面會日、各の舞踏會、各の晩餐が、小説の進展の、二つの黨派間の爭鬪の、或る段階を示すのである。
第二は薔薇窓式である。第一のピラミッド式が小説の全體としての構成であるとすれば、これはその小説の枝葉に關するものである。プルウストの小説の各枝葉はそれ等をそれぞれに獨立させて見ても面白い。しかし、その各枝葉が實に思ひもよらぬやうな複雜な方法で、互に連續的に結びついてゐるのを知ればますます面白くなる。それがちやうど薔薇窓のやうだと云ふのである。かの薔薇窓を見ながら或る一つの曲線を目で追つて行くと、絶えずそれが正面に見え隱れし…