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牧歌
ぼくか
作品ID47934
副題恩地三保子嬢に
おんちみほこじょうに
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日
初出「書窓 第五巻第一号」1937(昭和12)年10月号
入力者tatsuki
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2020-05-28 / 2020-05-03
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 あなたの、お父さんの雜誌に書けといはれた隨筆でも書けたら書かうと思つて、かうやつてけふも森の中へ、例の大きな drawing-book をかかへて、來てゐるのです。僕の住んでゐる屋根裏部屋なんぞにくすぶつてゐるより、森の中でもぶらぶらさ迷つてゐるときの方が、ずつといい考への浮ぶのは當然。しかし僕も頭が惡くなつたせゐか、せつかくいい考へが浮んでも、そばから物忘れをしてしまふので、(ひとつにはそんなephemeralなものしか考へられないからかも知れないのですが、)この頃はかうやつて繪描きのやうな眞似をして、その場ですぐそれを書きとめて置くのです。

          [#挿絵]

 けふは淺間登山道を僕は眞直に登つてきた。――實は今朝、まだ霧のふかいうちに、僕は半分睡氣ざましに、この山道の入口のところまで歩きに來たら、丁度そのとき霧のなかに大きな牝牛を一匹放したまま跡に歩かせながら、默々と山に登つて行つた、三人のリュックを背負つた山人夫達を見かけたのだけれど、その後ろ姿が僕には何とも云へずなつかしく見えたのだ。――それよりすこし前のこと、僕が霧の中にちらちらと花のほの見えてゐる馬鈴薯畑を前にした、一面にクロオヴァの茂つた、やや斜へになつた小さな空地のところへさしかかると、いつもはそこに二匹の山羊がつながれてゐるところに、その姿は見えず、その代りに思ひがけず大きな牝牛がひとりで草を食べてゐた。おまけに放し飼ひにされてゐる。こりあてつきり何處かの農家の牛が自分で繩でも切つてこんなところまで草を食べに來てゐるのだらう位に思つて、そこから僕はすこし後退りしながら、それをぼんやり見てゐると、僕のそばをリュックを背負つた三人の男達が默々として通り拔けて行つた。さうしてそのまま馬鈴薯畑のはづれまでいつて、そこから向うの霧にすつかりぼやけて見える森の中へはひりかけようとしたとき、その男達の一人がちよいと振り返つて、何か聲高に叫んだ。――すると、いままで無心に草を食べてゐた牛がふいとそれを止めて、いそいでその空地を離れて、ずんずん三人の男のあとを追つていつた。その間もときどき思ひ出したやうに、道草だけは食ひながら、しかしいかにもいそいそと彼等のあとについて、だんだん霧の中に彼等と一緒に見えなくなつていつた。なあんだ、山人夫達が山へ木樵りにでも行く傍ら、飼ひ牛に山の草を食べさせに連れて行くのか、と漸つと僕には分かり出した。しかしその一瞬の光景は僕には忘れ難い印象を與へた一枚のセガンティニばりの繪にちがひなかつた。……ついさつきまで、全然離れ離れになつて見えてゐたそのリュックを背負つた山人夫と、無心に草を食べてゐた牛とが、急に思ひがけずに結びついて、一枚の牧歌的な繪になつた、その刹那の美しさは、何ともかとも云へずに具合がよかつた。ああいつたものが何とか文章にならないかなあ、と思…

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