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豆自伝
まめじでん |
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作品ID | 47936 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第四卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年8月30日 |
初出 | 「文藝往来 創刊号」1949(昭和24)年1月号 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 染川隆俊 |
公開 / 更新 | 2011-04-16 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 2 ページ(500字/頁で計算) |
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私が四歳の五月の節句のとき、隣家から發した火事のために、私の五月幟も五月人形もみんな燒けてしまつた。その火事の恐怖が、私に甚だ強い衝動を與へたため、それまでのすべてのいろいろな記憶が、跡かたもなく消えてしまつたらしい。幼年時代に取材した作品は、「幼年時代」「三つの插話」「花を持てる女」などに書いた。昭和二年、二十四歳の時、「ルウベンスの僞畫」の初稿が出來た。二十七の秋、「聖家族」を脱稿後喀血して、翌年の春まで、向島の家で寢て、それから夏まで信州の富士見高原にゐた。八月輕井澤へいつて「恢復期」を執筆した。私はそれより前、一高在學中から、室生犀星、萩原朔太郎、芥川龍之介の諸氏を識り、その頃から、佐藤春夫氏の作品及びその人柄を愛してゐた。
昭和八年の夏、輕井澤で一人の少女とめぐり會ひ、翌年の夏の末、その病める少女と婚約した。しかしその年の冬に、少女は富士見の療養所で、短かな生涯を終つた。昭和十三年、三十五歳の時、前年の夏信濃追分で知合つた一女性と鎌倉で結婚し、居を輕井澤に定めた。今私は信濃追分の假寓にゐる。この淺間の麓で、病を養ふやうになつてから、既に五年の歳月を過し、又凍雪の冬を迎へようとしてゐる。