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室生さんへの手紙
むろうさんへのてがみ |
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作品ID | 47938 |
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著者 | 堀 辰雄 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房 1982(昭和57)年9月30日 |
初出 | 「新潮 第二十七巻第三号」1930(昭和5)年3月号 |
入力者 | tatsuki |
校正者 | 岡村和彦 |
公開 / 更新 | 2013-03-22 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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御高著「室生犀星詩集」(第一書房版)をお送り下さつて有難うございました。
私はいまこの雜誌からあなたに宛てた手紙の形式で何かあなたのことを書けと云はれ、丁度改造社版の「新選室生犀星集」を讀んでゐたところなので、あなたのさまざまな時代の作品のことを考へるには、最も適當な機会を得た譯であります。
吉村鐡太郎君が「文學」の二月號に「室生犀星論」を書いてゐますが、もうお讀みになりましたか。もしまだお讀みにならなかつたなら暗示的ないい論文ですから、是非お讀み下さい。吉村君は、その中で藝術家の變化といふことを問題にしてゐるのです。藝術家の變化には二通りあつて、その一つは自然成長によるものであり、他は轉換によるものであるとして、前者の好箇の一例として室生さんを、後者のそれとしては片岡鐡兵を擧げてゐるのです。そして前號で片岡さんを論じたので、今度は室生さん論をやつてゐるのです。吉村君は結論として、
「これは質的な變化である。かつて犀星氏は「憂愁が美の中に疼いてゐる」ことを歌つた。……今はさうではない。却つて氏は「美が憂愁の中に疼いてゐる」ことを知つた。さうしてその痛みを感じようとするのである。」
さう言つてゐるのです。これはいい批評であると思ひます。そして私はこれについては、一言もつけ加へる必要がありません。ただそれを私の言葉に飜譯することを許して貰ふならば、それは「詩のヴェイルを通して人生を見る」ことから「人生のなかへ詩を象篏する」ことへの變化だつたといふことになります。しかしそれは單にあなた一人における變化だつた許りではなしに、昨日から今日へかけての詩壇全體の推移でありました。廣い意味で、そこにマラルメからコクトオへの推移があつたと言つてもよいのです。あなたと一しよに出發した詩人らがほとんど全部落伍してしまつてゐる今日、あなた一人だけがなは立派な仕事をしてゐられるのは、(去年出した詩集「鶴」のすばらしさ!)あなたがそのやうな變化をきはめて自然に行つたからであると思ひます。
しかし變化のあつたのは、詩ばかりではありません。あなたの小説も、――ことにそのスタイルの上には驚くべき變化が見られます。初期のスタイルは、豐富な實感に比較してやや語彙の不足だつたため、恰も舌足らずのやうな感じを與へるものでした。それは普通の散文といふよりも、もつと實感に近いものでした。それは何となく子供の表現に似てゐて、實に思ひもよらぬ新鮮なものでした。その當時、佐藤春夫氏があなたの作品をアンリ・ルッソオの作品に比較しましたのも、さういふところからではなかつたでせうか。
ところが最近のスタイルになりますと、それが急激な變化をしたことを知ります。かつては言葉からはみ出してゐたところの實感が、すつかり言葉の中に壓縮されてしまひました。そこにあなたの古典的にならうとする傾向を發見したいものは勝…