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歩くこと
あるくこと
作品ID47944
著者三好 十郎
文字遣い新字新仮名
底本 「三好十郎の仕事 第三巻」 學藝書林
1968(昭和43)年9月30日
初出「日本および日本人」光文社、1954(昭和29)年4月
入力者伊藤時也
校正者伊藤時也、及川 雅
公開 / 更新2009-01-01 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 自分の頭が混乱したり[#「混乱したり」は底本では「混乱たしり」]、気持がよわくなったり、心が疲れたりしたときには、私はよく歩きに出かけます。
 それはたいがいのばあい、そういう自分の状態をなおそうとハッキリ思ってすることではなく、本能的にすることです。ほとんど無意識のうちに私は立ちあがり、かんたんな身支度をして家を出て、外を歩いています。それはまず、私が外気の中にいることが好きなこと、風景を見ることが好きなこと、知らない人びとの姿や顔を眺めることが好きなことなどのせいもあるらしいが、それだけではないようです。また、ふつうの言う意味の散歩ともすこしちがいます。
 まず、いちばん最初にくるのは、それまで自分をしばっていたいろいろのキズナからときはなれた感じです。かならずしも家または家族とのキズナだけでなく、自分の仕事や、その仕事の継続、私的なまた公的な人間関係、それからいっさいの社会的な関係のキズナからときはなれた感じ。それが切れてしまったとは思えないが、すっと長く伸ばされ、やわらかい、自由なものになったような気がするのです。そして、そのようなキズナにつきまとっている重量感が消えて、いっとき気楽になったような気がする。自分が自分からぬけだしてきた感じとでもいうか。つまり自分がそれまでにしてきた、そして現に持っている気苦労だとか、努力だとか、思索だとか、論理的な追求だとかを、自分の机の上などに置きざりにしてぬけだしてきたといったような実感です。
 そして私の目は、空を見たり地面を見たり樹木を見たり、花が咲いていれば、「ああ、そうだっけ、その季節だったな。去年もこうだったかな? きれいだな。」とシミジミと思いながら見てすぎていきます。むこうから人がくる。近所の人だと挨拶をする。見知った子どもがいると、「元気そうだ。急にまた大きくなった。」と思ったり。だんだん家を遠ざかるにしたがって、行きあう人は見知らぬ人が多くなり、二十分も歩くと私は挨拶をする必要がなくなる。車がとおる。犬が走る。電車・家々・店屋・人びとのいろいろの姿と声ごえ・空地・草・川・それにいろいろのものの匂い……そのころには私はまったく自由で孤独な人間になって歩いているのです。
 私の感覚は外気と運動のために鋭敏になっていて自分が見たり聞いたり、ふれるものの色や匂いや触感を、ひじょうにゆたかに受け入れ、味わっています。同時に、同じ理由のために、私の感受性は、私が家にすわっていたときのような神経質的な過敏さや不均衡を払いおとしていて、ずっと落ちついた健全なものになっているのです。
 私は歩きながら、自分が今している仕事のことや思想のことや生活上のいろんなことを、論理のじゅんを追って考えたりは、ほとんどしません。歩きながらの見聞やそれの引きおこす感覚を味わうのにいっぱいで、チャンとしたものを考えることは私に不…

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