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プルウスト雑記
プルウストざっき
作品ID47962
副題神西清に
じんざいきよしに
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出一「新潮」1932(昭和7)年8月号、二「椎の木」1932(昭和7)年8月号、三「作品」1932(昭和7)年8月号
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2009-02-25 / 2014-09-21
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

          一

一九三二年七月七日
 今朝、僕はこんな夢を見た。
 僕はひとりで活動小屋にはひつた。僕はうつかり眼鏡を忘れてきたことに氣がついた。いつもなら活動小屋の一番後の席に坐るのだが、しやうがないので僕はずつと前の方へ出て行つた。さうしたら、やつとスクリインの繪が見え出した。それにはなんだか妙に美しい色彩がついてゐた。そして沙漠のやうなところで獸めいたものが格鬪してゐるのだつた。……
 僕は眠りから醒めてからも、その夢を鮮明に記憶してゐた。そして煙草を喞へたまま、しばらくぼんやり籐椅子に凭れてゐるうちに、ふと數年前、この夢とほとんど同じやうな現實の經驗をしたことのあるのを思ひ出した。僕はその時もやはり眼鏡を忘れたまま活動小屋にはひつたのだつた。ただ夢とすこし異ふのは、その頃はまだ活動小屋にもオオケストラ・ボックスがあつて、そのまはりには子供たちが大ぜい群がつてゐたが、僕もその中に混つて待つて、半分はそのボックスの中を珍らしさうにのぞきながら、半分は筋などは何が何やら分らずにスクリインを眺めてゐた。
 さういふ夢と、その動機とも見えるやうな過去の經驗とを、代る代る思ひ浮べてゐるうちに、僕は何故かしらとても上機嫌になつてきた。そして僕は突然、それが數年前の自分がオオケストラ・ボックスの中をのぞきこみながら漠然と感じてゐた、妙に悦ばしいやうな感情に酷似してゐるのに氣がついた。――それは僕の幼時の追憶から生ずる特異な感情にちがひなかつた。といふのは、そんな風にオオケストラ・ボックスの中をのぞきこんでゐることが、いつもさうしてゐた子供の頃の僕に、その時の僕を立戻らせてしまつてゐたからだつた。そしてそんな僕には、僕の幼時の全體が、――「ジゴマ」だの、「名金」だの、レストランではじめて食べた蝦フライの匂だの、ふだんはどうもよく思ひ出せないでゐる死んだお母さんの聲だのが、思ひがけずはつきりと泛んで來てゐたからだつた。……
 僕は今朝の夢のおかげで、それらの過去の經驗の一切を知らず識らずの裡に再び思ひ出してゐたのだ。それで今朝はこんなに機嫌がよいのだ。

          [#挿絵]

 何故こんな夢の話を君にしだしたのか、君にはもう解つてゐるだらう。さう、君の御推察のごとく、たしかにこの夢にはプルウストの影響がある。そしてそれからそれへと僕は最近讀み出してゐるプルウストのことを考へてゐるうちに、なんだかとても君に手紙が書きたくなつた。と言つたからつて、何もプルウストのことを君に話して聞かす自信があるほど、僕はまだ充分には讀んでゐない。君のところからプルウストの本を腕一ぱいかかへて借りて來たのはもう數過間前だが、僕の佛蘭西語のあまり出來ないことは御存知のとほりだし、それに第一あのプルウストの難解な文章だらう。おまけにそれが小さい活字でぎつしり組んであるので、…

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