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レエモン ラジィゲ
レエモン ラジィゲ
作品ID47973
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「文学 第五号」第一書房、1930(昭和5)年2月1日
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-03-14 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「何よりもまづ獨創的であれ。」しばしば發せられるこの忠告は、凡庸な詩人たちのところでのみ役に立つ。凡庸でない詩人たちはそれを必要としないのだ。そして多くの凡庸な詩人たちがダダの亞流になつた。何よりも獨創的にならうとする努力、そこに今日の詩人たちの共通の弱點――奇矯にすぎること――があると言つてよい。ところでそれとは反對に、ラジィゲは我々に忠告するのだ、「平凡であるやうに努力せよ」と。
 平凡であらうとする努力、これくらゐラジィゲの作品を貴重にしたものはなかつたのである。
 ラジィゲの持つてゐる平凡、――この一點を中心にして僕は大きな感動をもつて一つの圓周を描かう。

          [#挿絵]

 ラジィゲは一九〇三年六月十八日に生れ、そして一九二三年十二月十二日に二十で死んだ。
 ラジィゲは死んだが、それと同時に、彼の詩人としての生涯は始まつたと言つてよい。何故なら彼は三册の著書を殘して行つたからだ。一つの詩集「火のやうな頬」と、二つの小説「憑かれて」と「ドルジェル伯爵の舞踏會」と。そしてその詩集は人々をして彼のことを「二十世紀のロンサアル」と呼ばしめるに充分であつたし、十六と十八の間に書いた「憑かれて」はコクトオによつてコンスタンの「アドルフ」に比せられ、十八と二十の間に書いた「ドルジェル伯爵の舞踏會」は「一九三五年を豫想してスタンダアルによつて書かれた『プランセス・ド・クレエヴ』だ」と評されてゐるほどである。
 だから世間が彼のことを神童扱ひにするのは無理もない。だが彼は「神童」といふレッテルを貼られるのをひどく厭がつた。そして彼はそれについて抗議までした。「年齡なんか何でもないのだ。ランボオが僕を驚かせるのは、ランボオの作品であつて、彼がそれを書いたときの年齡ではないのだ。すべての偉大な詩人は十七で書いた。最も偉大な詩人はそれを忘れさすことの出來た人達だ。」コクトオもまた「ドルジェル伯爵の舞踏會」の著者を辯護して「日附のない本の年齡のない著者」と呼んでゐる。
 僕はラジィゲの「神童」といふ言葉に對する嫌惡を理解できる。彼は「神童」といふ言葉の含んでゐる早熟さ及び異常さを彼自身の才能に結びつけられることを恐れたのだ。なるほど、ラジィゲの才能には、「神童」特有の早熟さとか異常さとか云ふものは少しもないのだ。コクトオの言ふやうに、彼がランボオよりより以上に我々を驚かすのは、その異常さの皆無によつてだ。ラジィゲの才能は一見すると平凡のやうに見えさへするのである。
 さういふラジィゲの祕密を見拔くために、僕は「舞踏會」の中から彼の一句を引用しよう。
「すべての年齡はその果實を持つてゐる、それを揉ぎとることを知らなければならぬ。だが、青年等は大人にばかりなりたがる、そして彼等の前に差し出されるものを輕蔑するのだ。」
 ところで、ラジィゲは自分の年齡を正確に知…

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