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曠野
あらの
作品ID4798
著者堀 辰雄
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第6巻」 小学館
1988(昭和63)年6月1日
初出「改造」1941(昭和16)年12月号
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2004-01-09 / 2014-09-18
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

忘れぬる君はなかなかつらからで
いままで生ける身をぞ恨むる
               拾遺集



 そのころ西の京の六条のほとりに中務大輔なにがしという人が住まっていた。昔気質の人で、世の中からは忘れられてしまったように、親譲りの、松の木のおおい、大きな屋形の、住み古した西の対に、老妻と一しょに、一人の娘を鍾愛しみながら、もの静かな朝夕を過ごしていた。
 漸くその一人娘がおとなびて来ると、ふた親は自分等の生先の少ないことを考えて、自分等のほかには頼りにするもののない娘の行末を案じ、種々いい寄って来るもののうちから、或兵衛佐を選んでそれに娘をめあわせた。ふた親の心にかなったその若者は、何もかもよく出来た人柄だった上、その娘の美しさに夢中になってしまっていることは、はた目にもあきらかだった。そうしてそれからの二三年がほどというものは、誰にとっても、何もいうところのない月日だった。
 が、そうやって世の中から殆ど隔絶しているうちに、その中務大輔のところでは暮らし向きの悪くなってゆく一方であることは、毎日女のもとに通って来る壻にも漸くはっきりと分かるようになった。そのなかでは、男だけは以前と変らずに手厚いもてなしを受けてはいた。それはかえって男には心苦しかった。が、女との語らいは深まる一方だったので、男はその女のもとをばもはや離れがたく思うようになっていた。
 ところが、或年の冬、中務大輔は俄かに煩いついて亡き人の数に入った。それから引きつづいて女の母もそのあとを追った。女は悲歎のなかに一人きりに取り残されて、全く途方に暮れずにはいられなかった。勿論、男は相変らず夜毎に来て、そういう女をいたわり尽してはくれた。だが、世の中を知らない二人だけでは、すべてのことがいよいよ思うにまかせなくなって来ることは為方がなかった。毎日宮仕に出てゆく男のためにもそれまでのように支度を調えることも出来悪かった。それがことに女には苦しかったけれども、どうすることもその力には及ばなかった。
 再び春の立ち返った或夕方、女は端近くにいた夫を前にして、この日頃思いつめていたことを口にする決心が漸っとそのときついたように、こんなことを言い出した。
「わたくし達もこの儘こうして暮らして居りましては、あなた様のおためではないのが漸っとはっきりと分って参りました。父母のおりました間は、それでもまだ何かとお支度などもお調えしてさし上げられておりました。けれども、こう何かと不如意になって来ましては、それも思うにまかせなくなり、お出仕の折などにさぞ見苦しいお思いもなされることがおありでございましょう。ほんとうに私のことなどは構いませぬから、どうぞあなた様のお為めになるようになすって下さいませ。」
 男はじっと黙って聞いていた。それから急に女を遮った。「ではこの己にどうせよといわれるのか。」
「ときど…

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