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ほととぎす
ほととぎす
作品ID4800
著者堀 辰雄
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第6巻」 小学館
1988(昭和63)年6月1日
入力者kompass
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-03-22 / 2014-09-18
長さの目安約 61 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

われぞげにとけて寐らめやほととぎす
  ものおもひまさりこゑとなるらん
              蜻蛉日記

その一

「昔、殿のお通いになっていらしった源の宰相某とか申された殿の御女の腹に、お美しい女君が一人いらっしゃるそうでございます。その女君なんぞをお引き取りになられては、如何なものでございましょう? なんでも今は、お二人共、兄に当られる禅師の君の御世話になられ、志賀の麓に大層心細いお暮らしをなすって入らっしゃるそうでございますが……」
 やっと春の立ち返った或日、そんな事を不意に思い出したように年とった女房の一人が、私の前で話し出した。そう、そう言えば、そんな御方の事も聞いていたっけ……と私は以前殿にそういう女の御方もあられた事など、もう殆ど忘れかけようとしていたのを、何ということもなしに思い出させられた。――なんでも故陽成院の御後だとか云われる、その宰相がお亡くなりになって、跡にたった一人の御女ばかりがお残されになった時、そう云う事をお聞きになるとそのままにはお聞き過ごしになれない例の御性分から、殿はその御方を何くれとなくお世話なすっていらしったようだったが(一度などは私のところからもあるたけの単衣をその御方の許へお取り寄せになった事もあった――)、そのうちその不為合せな御方は、御自分の本意からでもなく、ときおり殿をお通わせになさっていられるらしい御様子だった。昔気質の人らしく、それに殿よりも少し年上だったりしたので、それまで大ぶお躊躇いなすったらしかったが、やはり何かと行末が心細くお思いなされていた折でもあろうし、そう頼もしそうにもない殿をもお頼みになるより外はなかったのかと思えば、反ってお気の毒なような位であった。しかし、殿との御仲は、恐らくその御方のお思いなすったのよりも、ずっと果敢いものにちがいなかった。――その後一年と立たないうちに、その御方のところに女の御子様がお生まれになったとか云う事を耳にして、或日私がそれをそれとなく殿にお訊きすると、「そう、そんな事もあったかも知れんな」と殿はいかにも冷淡そうに仰ゃられたぎりだった。私の前なのでわざとそう素知らぬふりをして入らっしゃるばかりでもなさそうだった。そして、「どうだ、ひとつお前がその子を引き取って育ててやらないか?」などといつも子の少いのを歎いていた私に反って挑まれるように仰ゃられるのを、私は胸を刺されるような思いで聞いていた事も、今、ひょっくりと思い出す。しかし、そんな一昔前の自分と言ったら、只もう自分の不為合せな事ばっかしで胸を一ぱいにしていて、自分のほかにもそんなお傷しい御方さえいらっしゃる事なんぞ、知らずにいられたら知らずにいたい位だった。……
 そういう一人よがりな私であったのに、それがこの頃、身も心も衰え出しているとでも云うのか、ときおり見る夢までが妙に気になってならない程…

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