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聖家族
せいかぞく
作品ID4802
著者堀 辰雄
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第6巻」 小学館
1988(昭和63)年6月1日
入力者kompass
校正者松永正敏
公開 / 更新2004-02-25 / 2014-09-18
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 死があたかも一つの季節を開いたかのようだった。
 死人の家への道には、自動車の混雑が次第に増加して行った。そしてそれは、その道幅が狭いために、各々の車は動いている間よりも、停止している間の方が長いくらいにまでなっていた。
 それは三月だった。空気はまだ冷たかったが、もうそんなに呼吸しにくくはなかった。いつのまにか、もの好きな群集がそれらの自動車を取り囲んで、そのなかの人達をよく見ようとしながら、硝子窓に鼻をくっつけた。それが硝子窓を白く曇らせた。そしてそのなかでは、その持主等が不安そうな、しかし舞踏会にでも行くときのような微笑を浮べて、彼等を見かえしていた。
 そういう硝子窓の一つのなかに、一人の貴婦人らしいのが、目を閉じたきり、頭を重たそうにクッションに凭せながら、死人のようになっているのを見ると、
「あれは誰だろう?」
 そう人々は囁き合った。
 それは細木と云う未亡人だった。――それまでのどれより長いように思われた自動車の停止が、その夫人をそういう仮死から蘇らせたように見えた。するとその夫人は自分の運転手に何か言いながら、ひとりでドアを開けて、車から降りてしまった。丁度そのとき前方の車が動き出したため、彼女の車はそこに自分の持主を置いたまま、再び動き出して行った。
 それと殆ど同時に人々は見たのだった。帽子もかぶらずに毛髪をくしゃくしゃにさせた一人の青年が、群集を押し分けるようにして、そこに漂流物のように浮いたり沈んだりして見えるその夫人に近づいて行きながら、そしていかにも親しげに笑いかけながら、彼女の腕をつかまえたのを――
 その二人がやっとのことで群集の外に出たとき、細木夫人は自分が一人の見知らない青年の腕にほとんど靠れかかっているのに、はじめて気づいたようだった。彼女はその青年から腕を離すと、何か問いたげな眼ざしを彼の上に投げながら、
「ありがとうございました」
 と言った。青年は、相手が自分を覚えていないらしいことに気がつくと、すこし顔を赤らめながら答えた。
「僕、河野です」
 その名前を聞いても夫人にはどうしても思い出されないらしいその青年の顔は、しかしその上品な顔立によっていくらか夫人を安心させたらしかった。
「九鬼さんのお宅はもう近くでございますか」と夫人がきいた。
「ええ、すぐそこです」
 そう答えながら青年は驚いたように相手をふりむいた。突然、彼女がそこに立ち止まってしまったのだ。
「あの、どこかこのへんに休むところはございませんかしら。なんだかすこし気分が悪いものですから……」
 青年はすぐその近くに一つの小さなカッフェを見つけた。――そのなかに彼等がはいって見ると、しかしテエブルは埃のにおいがし、植木鉢は木の葉がすっかり灰色になっていた。それをいまさらのように青年は夫人のために気にするように見えたけれど、夫人の方ではそれをそれほ…

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