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釘抜藤吉捕物覚書
くぎぬきとうきちとりものおぼえがき
作品ID48043
副題12 悲願百両
12 ひがんひゃくりょう
著者林 不忘
文字遣い新字新仮名
底本 「一人三人全集Ⅰ時代捕物釘抜藤吉捕物覚書」 河出書房新社
1970(昭和45)年1月15日
入力者川山隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-08-05 / 2014-09-21
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

 ひどい風だ。大川の流れが、闇黒に、白く泡立っていた。
 本所、一つ目の橋を渡りきった右手に、墓地のような、角石の立ち並んだ空地が、半島状に、ほそ長く河に突き出ている。
 柳が、枝を振り乱して、陰惨な夜景だった。三月もなかば過ぎだというのに、今夜は、ばかに寒い。それに、雨を持っているらしく、濡れた空気なのだ。
 その、往来からずっと離れて、水のなかへ出張っている岸に二階建のささやかな一軒家が、暴風に踏みこたえて、戸障子が悲鳴を揚げていた。
 腰高の油障子に、内部の灯がうつって、筆太の一行が瞬いて読める――「御石場番所」
 水戸様の石揚場なのである。
 番所の階下は、半分が土間、はんぶんが、六畳のたたみ敷きで、炉が切ってある。大川の寄り木がとろとろ燃えて、三人の顔を、赤く、黒く、明滅させている。大きな影法師が、はらわたの覗いている壁に倒れて、けむりといっしょに、揺らいでいた。
 番小屋のおやじ惣平次と、ひとり息子の庄太郎とが、炉ばたで、将棋をさしているのだ。母親のおこうは、膝もと一ぱいに襤褸を散らかして、つづくり物をしながら、
「年齢はとりたくないね。針のめどが見えやしない。鳥目かしら――。」
 ひとりごとを言いいい、糸のさきを噛んだ。
 いきなり惣平次が、白髪あたまを振った。癇癪を起したのだ。盤をにらんで、ぴしりと、大きな音で、駒を置いた。
「えれえ風だ。吹きゃあがる。吹きゃあがる。風のまにまに――とくらあ。どうでえ庄太、この手は。面ああるめえ。」
「庄太、しょた、しょた、五人のなかで――。」
 庄太郎は、「酔うた、酔た、酔た」をもじって、低声に唄った。持ち駒を、四つ竹のように、掌の中で鳴らした。
 そして、炭のように黒いであろう戸外の闇を、ちょっと聴くような眼つきになって、
「なあに――。」
「おっと! こりゃあ! いや、風にもいろいろあってな、吹けよ、川風、上れよ、すだれ、の風なんざあ粋だが――おい、庄太、手前、砂利舟は、しっかり舫ったろうな。」
 惣平次は、いま打った駒で、取り返しのつかなくなった盤面を庄太郎に気づかれまいとして、何げなく、ほかの話をしかけて注意を外らすのにいそがしかった。
 が、庄太郎は、二十三の青年らしい、ほがらかな微笑をひろげていた。
「うふっ! 父、すまねえが、おらあ勝ってるぜ。」
 ごろっと、後頭部へ両手をまくらに、引っくり返った。
「出直せ、出なおせ。」
「この風だ。今夜はお見えになるまいて。」
 盤の駒をあつめながら、惣平次が、いった。
 おこうが、
「久住さんかい。」
 針を休めて、訊くと、
「なんぼあの旦那が物好でも、こんな大風の晩に出歩くこたあねえからな。」惣平次は、将棋に負けたので、八つ当り気味に、「おらあ好かねえよ。稼業たあ言い条、こんな石場の突鼻に住んでるなんざあ、気の利かねえはなしだ。まるで…

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