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釘抜藤吉捕物覚書
くぎぬきとうきちとりものおぼえがき
作品ID48047
副題08 無明の夜
08 むみょうのよる
著者林 不忘
文字遣い新字新仮名
底本 「一人三人全集Ⅰ時代捕物釘抜藤吉捕物覚書」 河出書房新社
1970(昭和45)年1月15日
入力者川山隆
校正者松永正敏
公開 / 更新2008-07-26 / 2014-09-21
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

      一

「あっ! こ、こいつぁ勘弁ならねえ。」
 いの一番に傘を奪られた勘弁勘次、続いて何か叫んだが、咆える風、篠突く雨、雲低く轟き渡る雷に消されて、二、三間先を往く藤吉にさえ聞き取れない。が、
「傘あ荷厄介だ。」
 こう藤吉が思った瞬間、一陣の渦巻風が下から煽って、七分にすぼめて後生大事にしがみついていた藤吉の大奴を、物の見事に漏斗形に逆さに吹き上げた。面倒だから手を離した。傘は苧殻のように背後へ飛んだ。あとから勘次が来ると閃くように気がついた藤吉、足踏み締めて振り返りざま精一杯に喚いた。
「勘! 傘が行くぞっ。危ねえっ!」
「あい来た!」
 ひらり引っ外した勘次の頭を掠めて、白魚屋敷の練塀に真一文字、微塵に砕けた傘は、それなりいもりのように貼りついて落ちもしなければ、動きもしない。蒼白い稲妻に照らし出されて刹那に消える家並みの姿、普段見慣れている町だけに、それはげに高熱の幻に浮ぶ水底地獄の絵巻そのまま。
 桐油合羽でしっくり提灯を包んだ葬式彦兵衛、滝なす地流れを蹴立てつつ、甚右衛門の導くがままに真福寺橋を渡り切って大富町の通りへ出た。電光のたびにちらりと見える甚右衛門の影と、互いに前後に呼び合う声とを頼りに、八丁堀合点長屋を先刻出た藤吉勘次彦兵衛の三人は、風と雨と神鳴りとが三拍子揃って狂う丑満の夜陰を衝いて、いま大富町から本田主膳正御上屋敷の横を、媾曳橋へと急いでいる。
 天地の終りもかくやとばかり、もの凄い暴風雨の夜。
 はじめ、甚右衛門に随いて戸外へ出た時、親分乾児は一つになって庇い合いながら道路を拾ったのだったが、そのうちまず第一に藤吉と勘次の提灯が吹き消される、傘は持って行かれる、間もなく三人はちりぢりばらばらになって、もう他人のことなぞ構ってはいられない、銘々くの字型に身を屈めて、濡れ放題の自暴自棄、いつしか履物もすっ飛んで尻端折りに空臑裸足、勘次は藤吉を、藤吉は彦兵衛を、彦は甚右衛門をと専心前方を往く一際黒い固体を望んで、吹抜けの河岸っ縁、うっかりすると飛ばされそうになるのを、意地も見得も荒風に這わんばかりの雁行を続けて行くことになったのだ。
 真夜中。人通りはない。礫のような雨が頬を打って、見上げる邸中の大木が梢小枝を揺り動かして絶入るように[#挿絵]くところ、さながら狂女の断末魔――時折、甚右衛門の声が闇黒を裂いて伝わって来る。
 葬式彦は一生懸命、合羽をつぶに引っかけて身軽に扮っているとは言うものの、甚右衛門は足が早い。ともすれば見失いそうになる。これにはぐれては嵐を冒してまでわざわざ出張ってきた甲斐がないし、さりとてあまり進み過ぎては後につづく藤吉勘次が目標をなくして道に迷う。つまり、甚右衛門と親分との中間に立って鎖の役を勤めようという、これは昼日中でさえ相当の難事なのに、かてて加えてこの闇さ、この吹降り。彦兵衛、同時に前後…

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