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![]() ひきょうなどくさつ |
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作品ID | 48060 |
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著者 | 小酒井 不木 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集」 ちくま文庫、筑摩書房 2002(平成14)年2月6日 |
初出 | 「サンデー毎日特別号」1927(昭和2)年1月号 |
入力者 | 川山隆 |
校正者 | 宮城高志 |
公開 / 更新 | 2010-05-23 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 11 ページ(500字/頁で計算) |
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病室の一隅には、白いベッドの掛蒲団の中から、柳の根のように乱れた毛の、蒼い男の顔が、のぞいていた。その顔の下半分には、口だけが孔となって、厚い繃帯がかけられてあった。
ベッドの脇には干物のように痩せた男が立っていた。彼は兀鷹のように眼をぎょろつかせて、病人の不思議な感じのする顔をじっと睨んでいた。床頭台上に点ぜられた台附電灯の光が、緑色のシェードを通じて、ゼリーのように、変に淀んだ空気を漂わせた。病院の秋の夜は、静かに更けて行った。
「ふッふ」と、立っている男は吐き出すように笑った。「中からドアに鍵をかけた以上、誰にも邪魔されずに、ゆっくり僕の計画を遂行することが出来るんだ。君はもはや鷹につかまった雀と同じだ。僕は君が苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて死んで行くところを静にながめたいのだ。思えば、この時機をどんなに待ち焦れたことか。復讐というものは、辛抱の足らぬ人間には到底堪え難い重荷だが、僕は蛇のように執念深く辛抱したよ。そうして、とうとう、今のこの無限の喜びに接し得られたよ」
こういって男はきびしくにやりとした。それは悪魔の笑いであった。
「君は僕を毒殺しようとした」彼は幾分か声をふるわせて続けた。「ところが幸か不幸か僕はその毒をのまなかった。のむ前に発見したのだ。そうして僕はこのとおり助かった。けれども僕は、警察へは届けなかったよ。警察へ届けたのでは、復讐の快感を十分味わうことが出来ぬからねえ。つまり、僕は、僕自身の手で君に復讐しようと思ったのだ。
そこで先ず僕は、内密に君が僕に与えようとした毒を分析してもらったよ。その結果、それがストリヒニンであると知れた。ストリヒニン! 猛毒だ。君は僕を、蛙が水泳ぎをするように手足をつんのめらせて、苦しみ悶えさせて殺そうとしたのだ。
その恐ろしい君の心に対して、僕がいかなる計画を建てたと思う? 僕は先ず、ストリヒニンで殺されない体質を作ろうと思ったよ。君への腹癒せにね。君をあざ笑ってやりたいためにね。そのために、僕は凡そ一ヶ月かかったよ。即ち僕は毎日ストリヒニンを少しずつ分量をふやして嚥み、遂に致死量をのんでも死なない体質になることが出来たんだ」
彼はこういって、じっと病人の顔を見つめた。病人はマスクのような顔をして、身動きもしないで聞いて居た。
「それから僕は君を殺そうと思って、はじめて外出して、君の様子をさぐると、何でも君は災難にあって負傷し、この病院へ入れられたときいたので、今夜、病院の誰にも知られずにこうしてたずねて来たのだ。僕は、ここに、致死量のストリヒニンを含む丸薬を二粒持っている。これから、二粒の丸薬を二人でのもうと思うのだ。君にだけのませて僕がのまぬということは卑怯だからねえ。だが、僕は君と一しょには死にたくはないよ。僕は君に、ストリヒニンでは僕が死なぬということを見せ、君の苦しんで死んで…