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雪の上の足跡
ゆきのうえのあしあと
作品ID4807
著者堀 辰雄
文字遣い新字新仮名
底本 「昭和文学全集 第6巻」 小学館
1988(昭和63)年6月1日
初出「新潮」1946(昭和21)年3月号
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2004-01-27 / 2014-09-18
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 主 やあ、どこへ行ったかと思ったら、雪だらけになって帰って来たね。
 学生 林の中を歩いて来ました。雑木林の中なぞは随分雪が深いのですね。どうかすると、腰のあたりまで雪の中に埋まってしまいます。獣の足跡が一めんについているので、そんな上なら大丈夫かとおもって、足を踏みこむと、その下が藪になっていたりして、飛んだ目に逢ったりしました。
 主 君と、兎なんぞが一しょになるものかね。それに、もういくぶん春めいて来ているから、凍雪もゆるんで来ているのだろう。だが、そうやって雪の中が歩けてきたら、さぞ好い気もちだろうなあ。
 学生 ええ、実に愉快でした。歩きながら、立原道造さんの詩にも、こうやって林の中をひとりで歩きながら、深い雪の底に夏の日に咲いていた花がそのまま隠れているような気がしたり、蝶の飛んでいる幻を見たりするような詩があったのを思い出しました。
 主 立原は、僕がはじめてここで冬を越したとき、二月になってからやって来た。あいにく僕が病気で寝こんでいたので、君のように、ひとりで林の中を雪だらけになって歩いて帰って来たっけ。そのときの詩だろう。もう七八年前になるかなあ。……どうだい、狐のやつの足跡はついていなかったかい?
 学生 狐の足跡はどうも分かりませんでした。どんなんだか、まだそれもよくは……。
 主 そうだな、こう、まっすぐに、一本の点線を雪の面にすうっと描いたような具合に、林のへりなぞをよく縫い歩いているのだがね。兎のやつのは、そこいら中を無茶苦茶に跳びまわると見え、足跡も一めんに入りみだれているが、狐のやつのは、いつもこう一すじにすうっとついている。そしてそのまま林の奥にほそぼそと消えていたり、どうかすると思いがけず農家の背戸のあたりまで近づいて来ていたりする。
 学生 狐なぞがまだこのへんにうろついているのでしょうかしら?
 主 いるらしい。このごろは冬になると、僕はからきし意気地がなくなって、ちっとも雪の中を歩かないが、二三年前にはそんな足跡をいくつも見たことがある。しかし、いたって、もうたかの知れたもんだ。せいぜい農家の鶏を盗りにくる位なものだろう。
 学生 いつだかお書きになっていた、昔、武家に切り殺された、この宿の遊女の墓に夜ごとに訪れてくる老狐の話――なんでもその墓にひとりでに罅が入って、ちょうど刀傷のように痛いたしく見えた、その傷のあたりをその狐が舐めて[#「舐めて」は底本では「舐めて」]やっていたとかいう話でしたね。――あれはこの村の話なのですか?
 主 この村ではないが、隣りの村の古老にきいた話だ。ハアンでも好んで書きそうな話だ。ああいう話が残っていたら、もっと聞きたいものだが、あまり無いようだね。どうもこういう古駅には一たいに昔話なぞが少ないのではないかね。維新前までは茶屋旅籠がたてこみ、脇本陣だけでも遊女が百人からいたという…

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