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狂女と犬
きょうじょといぬ
作品ID48081
著者小酒井 不木
文字遣い新字新仮名
底本 「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集」 ちくま文庫、筑摩書房
2002(平成14)年2月6日
初出「大衆文芸」1926(大正15)年7月
入力者川山隆
校正者宮城高志
公開 / 更新2010-06-13 / 2014-09-21
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 京都の高等学校に居た頃、――それはたしか明治四十一年だったと思うが――私は、冬休みに、京都から郷里の名古屋まで、名所見物を兼ねて、徒歩で帰ろうと思い立った。汽車ならば五時間、悪七兵衛景清ならば十時間かからぬくらいの道程を五日の予定で突破? しようというのであるから、可なりゆっくりした気持の旅であった。私は旅をするとき、道連れのあるのが大嫌いで、その時も、単身学校の寄宿舎を出発したのであるが、元来、冒険好きな私は、こんどの旅で、何か意外な、青春の血を泡立たせるような現象に出逢うか、或はまた、一夜に髪の色を白くするような事件に捲きこまれて見たいというような愚にもつかぬ考を抱いて居たのである。さもなくても、せめて昔の物語りに出て来る胡麻の蠅にでもぶつかるか、或はまた、父母をたずねる女の巡礼と道連れになって、その哀れな身の上話をきいて、心ゆくままに慰めてやりたいというような希望も持って居た。然し、実際道中をして見ると、そんなロマンスは何処にも落ちて居なかった。たまたま眼付きの悪い人間に出逢っても、それが散歩中の結核患者であったり、又、巡礼らしい者に出逢っても、六十ばかりの婆さんであったりして、間の抜けること夥しかった。時として広重の横絵に見るような松並木の街道を歩いて、道ばたに設けられたみすぼらしい茶店に腰を下しても、ミルク・キャラメルが塵にまみれて並べてあったのでは、五十三次の気分など立ちどころに打ち壊されて了い、頗る失望せざるを得なかった。けれども、夜になって、わざとむさくるしい宿屋を選んで、狭い、臭い一室に泊ると、さすがに旅の寂しさがしみじみ感ぜられて、その寂しさを味うだけでも、今度の旅は有意義なものだと思うに至ったのである。
 道中のことをくだくだしく書くのはやめて、三日目に私は美濃の国にはいった。予定では古戦場で名高いS原を訪ねるつもりであったが、どう道を間違えたものか、人家の少しもない山奥に迷いこんでしまったのである。然し、道を迷ったということが何かこう一種の因縁のように思われて来て、私のあこがれて居る夢幻の世界へ踏み入る第一歩であるような気がした。或は、ことによると、世に言う狐狸のたぐいにばかされたのかも知れぬと考えると、急に、むらむらと冒険心が湧いて来て、却ってうれしいような気分になり、今夜は樹の蔭か岩の下で野宿をしてもかまわぬから行けるところまで行こうと決心して、全く人の往来のない細路をずんずん歩きつづけたのである。
 然し、昼過ぎから曇り出した空は夕方になって雪模様となり、彼是するうちに、ちらちら白いものが落ちて来たので、さすがの私も、聊か閉口して、せめて小さな水車小屋でもよいから見つけたいものだと、空腹と疲労を物ともせず、暗闇の中を可なりに高い山を登ってその頂に達すると、遥かむこうに、人家の灯影がまだらに見え出したので、私は急に元気づいて、山…

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