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旅の絵
たびのえ
作品ID4816
著者堀 辰雄
文字遣い新字新仮名
底本 「燃ゆる頬・聖家族」 新潮文庫、新潮社
1947(昭和22)年11月30日発行、1970(昭和45)年3月30日26刷改版
初出「新潮」1933(昭和8)年9月号
入力者kompass
校正者染川隆俊
公開 / 更新2004-02-12 / 2014-09-18
長さの目安約 27 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ……なんだかごたごたした苦しい夢を見たあとで、やっと目がさめた。目をさましながら、私は自分の寝ている見知らない部屋の中を見まわした。見たこともないような大きな鏡ばかりの衣裳戸棚、剥げちょろの鏡台、じゅくじゅく音を立てているスティム、小さなナイト・テエブルの上に皺くちゃになって載っている私のふだん吸ったことのないカメリヤの袋(私はそれを何処の停車場で買ったのだか思い出せない)、それから枕もとに投げ出されている私の所有物でないハイネの薄っぺらな詩集、――そう云うすべてのものが、ゆうべから私の身のまわりで、私にはすこしも構わずに、彼等の習慣どおりに生き続けているように見えた。今しがた見たことは確かに見たのだが、どうしても思い出せない変にごたごたした夢も、それまで自分はぐっすり眠っていたのだという感じを私に与えはしているものの、同時に、まるで他人の眠りを借りていたかのような気にも私をさせないことはなかった。……
 私はベッドから起き上ると、窓を開けに行った。しかしその窓のそとはすぐ高い石囲いで、石囲いの向うには曇った空と、隣りの庭のすっかり葉の落ちきった裸の枝先きが見えるきりだった。が、その窓を通して、しっきりなしに汽船のサイレンがはいってきた。その聞きなれない異様な叫びは、自分がいま東京から離れている、目に見えない長距離を、一瞬間、私の目に浮び上らせそうにした。そういう喧騒の中からひょっくり生れてきかかった一種の旅愁に似たもの、――私は再び窓を閉じた。……
 そうすると今度は、私の背中合わせの部屋から、タイプライタアの何かにじゃれているような音が聞えてきた。が、それはだんだんいらいらしたような音に変りながら、すぐ止んでしまった。私はゆうべこのホテルに着くなりすぐ目に入れたところの、廊下の隅にほうり出されていた、錆びかかったようなタイプライタアを思い出した。――それにしても、一体いまは何時ぐらいなのか少しも分らない。まだ朝飯は食わしてくれるのかしらと思いながら、私はボオイを呼ぶために、窓とは反対の側の、ドアを開けてみた。食堂は私の部屋と隣り合わせになっているらしい。そこからは途切れ途切れな話し声に雑ってときどき皿にぶつかるスプーンやナイフの音が聞えてくる。……しかしそれは誰かがまだ朝飯を食べているのか、それとももう昼飯を食べ出しているのか、わからない。……どうも具合がへんだから、私はドアを開け放しにしておいて、もう食堂からボオイが出て来そうなものだと待ち伏せていた。
 やっと食堂からボオイが姿を現わした。支那人らしかった。私は彼が日本語を解するのかどうかを知らなかったので、英語と日本語をまぜこぜにしながら、
「Breakfast ――まだ出来る?」と聞いた。
「どうぞ――」と言ってボオイは空皿をもった手で食堂の入口を示したが、そのまま無愛想にコック場の方へ行ってし…

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