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佐渡が島
さどがしま |
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作品ID | 48213 |
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副題 | 波の上 なみのうえ |
著者 | 長塚 節 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店 1977(昭和52)年1月31日 |
初出 | 「佐渡が島 長塚節自筆草稿」日本古書通信社、1966(昭和41)年9月 |
入力者 | 林幸雄 |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2010-08-03 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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汽船はざぶ/\と濁水を蹴つて徐ろにくだる。信濃川も川口がすぐ近く見える。渺茫たる海洋がだん/\と眼前に展開する。左岸には一簇の葦の穗の茂りがあつて其先からは防波堤が屈曲して居る。葦の茂りを後にするとそれから續いた長い磯が見え出して遙かに猫の耳のやうな二つの山が兀然として聳えて居る。此は彌彦の山系である。其中腹から長い手のやうにずうつと佐渡が顯はれ出した。汽船は防波堤に隨つて屈曲して進む。防波堤の上には十人ばかり四つ手網を引いて居る。四つ手網が一杯に水を離れた時には佐渡は網の目から透きとほつ見える。汽船が沖に浮んだ時に佐渡が島も海洋の只中に悠然として青く横はつた。丁度大きな馬盥に水を一杯に汲んだのが海洋であるならば鍋蓋をそつと浮べて鍋蓋の取ツ手を横から見れば佐渡が島である。波は淺草紙を揉んでのした樣に平らである。あたりを見ると海は一面の濁りである。信濃川が泥土を溶かして間斷なく吐き出して居るので此の如く黄變したものであらうがそれにしても驚く程の濁りである。わさ/\と碎くる波は綿の如く白く飜る。其白い波にも濁つた色が見える。汽船は佐渡が島の眞ン中をさして居る。だん/\水は澄んで來る。何時の間にか猫の耳の樣な山が一つに重つて居た。振りかへるともう新潟の港はどことも分らぬ。船體が漸く動搖し始めた。
余は狹い後甲板へ横に敷いた莚へ腰を卸して立膝をして居るので足の裏は直接に甲板を踏んで居る。五十格恰の男が余と相對して別な莚に胡坐をかいて居る。筋肉のきりつと緊まつた極小柄な男で汚れた白木綿の三尺帶を締めて傍に褪めた淺黄の風呂敷包を引きつけて居る。朴訥な顏をした若者が三四人と其他に二三人莚に坐して居る。乘客は皆船室へもぐり込んでしまつたのだ。此小柄な男と若者と噺をはじめた。若者は佐渡から小樽へ出稼に行つて居たのであるがもう季節に成つたので稻刈にもどつて來たのだといふと、さうか佐渡は仰山稻が出來たと大きな聲で小柄な男がいつた。彼は割合に大きな口を開いて喋舌る。其度毎に黄ばんだ反齒が抉き出しになる。俺は博勞だがもう先月から越後へ三度も渡るが雜用が掛つてよう儲からんといひながら其風呂敷包から梨を一つ引き出した。さうして手の平でこすつたと思つたら大きな口を開いて皮の儘むしや/\と噛りはじめた。朴訥な若者も云ひ合した樣に梨を出して皮の儘噛りはじめた。余も手拭へ括つてあつた梨を解いた。丁度拇指の爪が非常に延びて居たので其爪の尖で皮を剥きはじめた。むくといふよりも小さくはがしはじめた。ぼつり/\と鋲の頭のやうにへげる皮が莚と莚との間の甲板へほろ/\と落ちる。氣の永いことをするのうといひながら博勞が余の手もとを見つめる。みんなが余の手許を見る。余は一つ/\にはがしながら女の梨賣を憶ひ浮べる。
昨日は「ダシ」といふ嵐が越後の山から佐渡へ吹きつけたので、此汽船は昨日のうちに新潟へ來て居て…