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教師
きょうし
作品ID48225
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第二巻」 春陽堂書店
1977(昭和52)年1月31日
初出「ホトトギス 第十三卷第一號」1909(明治42)年10月1日
入力者林幸雄
校正者A子
公開 / 更新2013-08-01 / 2019-01-09
長さの目安約 54 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 此の中學へ轉任してからもう五年になる。子供が三人出來た。三人共男ばかりである。此の外には自分に何の變化も無い。依然として理化學の實驗を反覆して居る。自分は一體褊狹な人間なのであらう、同僚ともそんなに往復はない。田舍の教師抔といふものはてんでみじめな情ない人間が聚合して居るに過ぎない。俸給の不足だとか同僚に對する嫉妬の惡評だとかいふことを能く口にしたがる。それを聞くのが自分には厭なのだ。然し生徒は好きだ。自分は邊福を飾らない。髮は三分刈と極めて置く。髭なんぞは立てたことがない。それで生徒も最初のうちは自分の風采が揚らないので少しづゝ輕蔑しかけたものもあつたが現在ではみんなが能く服從してくれる。教授上に忠實を心掛けて居るのが自分の唯一の誇りである。中學の教師は比較的時間の餘裕を有して居るのだが、それでもやりやうによつて仲々忙しい。暇を拵へては釣竿擔いで出懸ける同僚もあるんだが、そんな餘計なことはしなくてもいゝだらうと思つて居る。斯ういふ連中は能く泣き出さないばかりに生徒に苛められる。それといふのもみんな自分が惡いのだ。中學の教師は又よく更迭する。此所では大分新陳代謝が行はれた。然し彼等に對する自分の記憶は甑のやうなものだ。殘つて居るものは味噌でいつたら滓ばかりだ。だが唯佐治君ばかりはいつ迄經つたとて到底自分の腦裡を去らぬであらうと思ふ。どうかすると長身痩躯の佐治君が涙を落しながら椅子に倚つて居る容子があり/\と見える。何の力が自分にかういふ強い印象を止めたのであらうか凝然と考へてゞも見ようと思ふと却て解らなく成る。佐治君は哲學科出身の文學士である。社會學を專攻したのだといつた。佐治君は何時でも底深く沈んで居るやうな態度で其長い體をぐつたりと二つに折つて椅子に倚つて居る。さうして目を瞑つて居る。佐治君の髮はどんな時でも能く櫛が入れられてある。洋服でもすつかり體にくつゝいて居る。固より其周圍は極めて清潔で且つ整頓されてあつた。佐治君はそれで獨身の生活をして居たのである。自分には彼の凡てが能くさうされたものだと不審に思はれる位であつた。だが佐治君には毫もハイカラな分子は交らない。自分の性格は全く佐治君とは相反して居た。どうしてか自分は放任的でテーブルの上でもごつちやである。教室でもよく試驗管を壞すので會計の方でぐづ/\いひたがる。書記の今井君は別段懇意だから小言が餘計に出る。内へ歸つてもさうだ。惡戲者ばかりだから障子は何時も穴だらけだ。自分は近頃寫眞といふ道樂を覺えた。少しの餘裕があると器械を擔いで出掛ける。寫眞をはじめてから滅切忙しくなつた。學校の方を疎略にすることは自分の主義に反して居るからだ。道樂といふと語弊があつていかぬが自分が寫眞を始めたのは理化學の應用といふことに興味を持つたからである。自分は不器用だから碌なものは出來ない積ではじめたのだが近來は少しは美…

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