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白い路
しろいみち |
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作品ID | 48247 |
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著者 | 種田 山頭火 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「山頭火随筆集」 講談社文芸文庫、講談社 2002(平成14)年7月10日 |
初出 | 「層雲 大正六年一月号」1917(大正6)年1月 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 仙酔ゑびす |
公開 / 更新 | 2008-07-15 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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熟した果実がおのずから落ちるように、ほっかりと眼が覚めた。働けるだけ働いて、寝たいだけ寝た後の気分は、安らかさのうちに一味の空しさを含んでいる。……
妻はもう起きて台所をカタコト響かせている。その響が何となく寂しい。……寂しさを感じるようではいけないと思って、ガバと起きあがる。どんより曇って今にも降り出しそうだ。何だか嫌な、陰鬱な日である。凶事が落ちかかって来そうな気がして仕方がない。
急いで店の掃除をする。手と足とを出来るだけ動かす。とやかくするうちに飯の仕度が出来たので、親子三人が膳の前に並ぶ。暖かい飯の匂い、味噌汁の匂いが腹の底まで沁み込んで、不平も心配もいつとなく忘れてしまう。朝飯の前後は、私のようなものでも、いくらか善良な夫となり、慈愛ある父となる。そして世間で所謂 sweet home の雰囲気を少しばかり嗅ぐことが出来る!
今日は朝早くからお客さんが多い。店番をしながら、店頭装飾を改める。貧弱な商品を並べたり拡げたり、額椽を出したり入れたりする。自分の欠点が嫌というほど眼について腹立たしい気分になるので、気を取り直しては子と二人で、栗を焼いたり話したりする。久し振りに栗を食べた。なかなか甘い。故郷から贈ってくれたのだと思うと、そのなかに故郷の好きな味いと嫌な匂いとが潜んでいるようだ。
午後、妻子を玩具展覧会へ行かせる。久々で母子打連れて外出するので、いそいそとして嬉しそうに出て行く。その後姿を見送っているうちに、覚えずほろりとした。
下らない空想をはらいはらい、仕入の事や、店頭装飾の事を考える。――絵葉書とか額椽とか文学書とかいうものは、陳列の巧拙によって売れたり売れなかったりする場合が多い。同業者の一人が「我々の商品は売れるものでなくて売るものである」といったそうであるが、実に経験が生んだ至言である。米屋や日用品店なぞと違って、いつも積極的に自動的に活動していなければならない。始終中、清新の気分を保っていなければならない。苦しい事も多い代りには、面白い事も多い。
二時間ばかり経って、妻子が帰って来た。子供が、陳列してある玩具を片端から買ってくれといって困ったという。まだ困った顔をしている。――滑稽な悲劇である。
夕方、駅から着荷の通知があった。在金一切掻き集めて、受取に行こうとしているところへ、折悪く納税貯金組合から集金に来た。詮方なしに駅行を止める。今日も亦、貧乏の切なさを味わせられた。――もうだいぶ慣れて、さほど痛切ではないけれど。――
厳密に論ずれば、貧乏は或る一つの罪悪であるかも知れない。しかし現在の社会制度に於ては――少くとも現在の私の境遇にあっては、それは耻ずべきことでもなければ誇るべきことでもない、不幸でもなければ幸福でもない、否、寧ろ幸福であるといえよう。私は「貧乏」によって、肉体的にさえも二つの幸福を与えら…