えあ草紙・青空図書館 - 作品カード

作品カード検索("探偵小説"、"魯山人 雑煮"…)

楽天Kobo表紙検索

私の生活
わたしのせいかつ
作品ID48265
著者種田 山頭火
文字遣い新字新仮名
底本 「山頭火随筆集」 講談社文芸文庫、講談社
2002(平成14)年7月10日
初出「「三八九」第弐集」1931(昭和6)年3月5日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2008-07-25 / 2014-09-21
長さの目安約 1 ページ(500字/頁で計算)

広告

えあ草紙で読む
▲ PC/スマホ/タブレット対応の無料縦書きリーダーです ▲

find 朗読を検索

本の感想を書き込もう web本棚サービスブクログ作品レビュー

find Kindle 楽天Kobo Playブックス

青空文庫の図書カードを開く

find えあ草紙・青空図書館に戻る

広告

本文より




 あんまり早く起きたところで仕方がないから、それに今でもよく徹夜するほど夜更しをする性分の私だから、自分ながら感心するほど悠然として朝寝をする。といっても此頃で八時九時には起きる。起きる直ぐ、新聞を丸めた上へ木炭を載せかけた七輪を煽ぎ立てる。米を洗う、味噌を摺る。冬の水は冷たい、だから肉体労働をしたことのない私の手はヒビだらけだ。ドテラ姿で、古扇子で七輪を煽いでいる、ロイド眼鏡のオヤジの恰好は随分珍妙なものに違いない。しかも、そこでまた自分ながら感心するほど綿々密々として、米を洗い味噌を摺るのである。ありもしない銭を粗末にする癖に、断然一粒の米も拾うて釜へ入れるのである。釜が吹くと汁鍋とかけかえる。それが出来ると、燠を火鉢に移して薬鑵をかける。実にこのあたりの行持はつつましくもつつましいものである。思うに彼が、いや私がたとえナマクサ坊主であるにせよ、元古仏『半杓の水』の遺訓までは忘れることが出来ないからである。(ここまで書いたらもう余白がなくなった。集を追うて余白がある毎に書き続けるつもり)
(「三八九」第弐集)



えあ草紙で読む
find えあ草紙・青空図書館に戻る

© 2024 Sato Kazuhiko