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「絵本」
「えほん」
作品ID48297
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「四季 創刊号」1934(昭和9)年10月15日
入力者tatsuki
校正者染川隆俊
公開 / 更新2010-12-19 / 2022-09-01
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 もう十數年前のことである。小林秀雄と永井龍男とがはじめて出合つた時の話である。
 小林が先づ永井に「君は志賀直哉を讀むか?」と聞いた。「うん、好きだ」と永井は即座に答へた。「ぢや、佐藤春夫はどうだ?」と小林が再び聞いた。「ああいふのも好きだ」と永井は答へた。そのとき永井はいくらか微笑を浮かべはしなかつたかと私は想像する。それから二人は大いに意氣相投じたさうである。
 こんど四季社から刊行された永井龍男の短篇集「繪本」の卷末には、その頃の永井の習作が二つばかり載つてゐるが、それを讀んで、私は永井から聞いた話を何氣なしに思ひ出した。

          [#挿絵]

 私はここに私達と時代を同じくする者の一つのはつきりした特質を認める。志賀直哉と佐藤春夫と――これらのむしろ陰と陽のやうに相反する二つの極、それらを接觸せしめようとすること、r[#挿絵]el なものと imaginaire なものとの接觸から新しい火花を得ること、それが私達の願望であり、目的であつた。
 永井龍男は「泉」をもつて出發した。そのスタアトは實に鮮かだつた。當時は新感覺派の全盛時代であつたが、その當時にあつてもこの作品くらゐ感覺的なものはちよつと見あたらなかつた。そしてそのすべてが完全な想像から來てゐることに、この作品の異樣な特質があつたのである。
 その結末の美しさなどはどうだらう。
 「片足づゝ跳んで進んだ。
 木々の間を幾度か拔けた。眼にしみる花の香がある。木の實は幾度か頬に觸れた。
 遠くのことが、何知らず遠いものが想へた。
       ………………………………………
 滑らかな石から、女は泉にひたつた。青い木の實が、髮からこぼれた。木の實は生ぶ毛に附いた空氣を銀色にし、黒い水草の上に沈む。濡れぬ両の腕を翼のやうに擴げ、女は水底のそれに見入つた。水に映る女の影は、蒼空を飛んでゐる。」
 それから永井龍男は「繪本」に到達したのである。これはささやかな短篇ではあるが、その一字一句が長い時間をかけて丹念に蒐集されて、磨きがかけられてゐる。それでゐて、全體が一刷毛で書いたやうな勢ひである。

          [#挿絵]

 或る冬の夜更け、ほとんど人影のない町を、私はだいぶ醉つてゐるらしい永井と二人で、何處へといふあてもなく歩いてゐた。そのとき舖石の凸凹につまづいて永井が倒れた。しかしひとりで起き上れないほど醉つてゐるとも見えなかつたし、それにそんなとき友人を介抱したりするのが私には妙に羞かしかつたので私はうつちやらかして置いた。すると永井は何やら口のなかで「畜生。畜生」と言ひながら、いつまでも倒れたままになつてゐた。
 私はそれから數週間後、永井の「繪本」の最後の頁を讀みながら、その夜の永井のことを思ひ出して妙に感動させられた。
 しかし私はいま、この作品の見事な美しさを現實に…

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