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「神々のへど」
「かみがみのへど」
作品ID48299
著者堀 辰雄
文字遣い旧字旧仮名
底本 「堀辰雄作品集第五卷」 筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日
初出「文藝通信 第三巻第四号」1935(昭和10)年4月
入力者tatsuki
校正者岡村和彦
公開 / 更新2013-05-22 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 室生さんのこの頃のお仕事ぶりは、私などのやうなずつと昔からの側近者にとつても、本當に驚嘆の他はありませぬ。立派なお仕事が次から次へとお出來になる、――その何と云ひますか、製作力の旺盛なことは、それもただはげしいと云ふばかりでなく、實によくコントロオルのとれてゐることは、作家として實にいい生活をなさつていらつしやるからだと思ひます。――私などがふだん接してそのお仕事ぶりを見てゐますと、實に室生さんは「仕事の雰圍氣」といふものを始終しつかりと掴んでいらしつて、一日とて油斷をしてそれを手離すやうなことをなさらない。若しインスピレエションなんといふものがあるとしましても、それは室生さんにとつては、決して他の人達が考へるやうに遠くから來るものではなく、いつも室生さんの手の屆くところにゐるやうに、平生から飼ひ馴らされてゐるやうな感があります。さうして室生さんはいつもさういふ「仕事の雰圍氣」といふものを大事にされてゐて、少しも無理強ひをなさらない、――如何にもすうつとその中にはひつて行つて、其處で一人で何か見えないものとはげしい格鬪をなされた後、又すうつとその中から何事もなかつたやうに出ていらつしやる。どんなにはげしい仕事の後でも、そしてまだその頭の一部分は今のさつきまでお書きになつてゐた悲劇の雰圍氣に何處か浸つてゐるやうな折でも、側目には少くとも、室生さんはいつもすつぱりとした、むしろ颯爽としたやうな顏つきをしていらつしやる、それは私たちまでも何か氣待よくさせるものがあります。私たち年少のもののこれから最もお手本とすべき點であらうかと思ひます。

「神々のへど」の悲劇的な結尾のところに、「あをざめ切つた眼のふちは灰だみた濁りをながして、見樣によつて物すさまじい或る美しさを感じる」といふ一行がありますが、私は室生さんの書かれるすべての悲劇に、さういふ「物すさまじい或る美しさ」を感じるやうな見方からのみ、それ等を見てゆくやうにと心がけてゐます。さういふ私は、「神々のへど」集中でも「兄いもうと」及び「神々のへど」の二篇を最も好むものであります。

 去年の五月頃、私はモオリアックといふ佛蘭西の作家のものを二三篇讀み、それから小説論のやうなものを少し讀んで、私のこれまでの「小説」といふものに對する考へが非常に變つて來かかつた矢先、――ふとしたことから、獨逸の詩人リルケを讀み出し、再び詩といふものに強く引かれて行き、さういふ状態がずつと今日まで續いて居りますが、今度、「神々のへど」などをゆつくり再讀してゐるうち、それらの諸作が何處かモオリアックのものと似てゐるせゐか、また、この頃、モオリアックのものを讀んで見たいやうな氣がしかかつてゐます。
 何處が似てゐるかといふと、モオリアックの事をすこし詳しく書かなければならなくなりますが、まあ、一口に言へば、モオリアックといふ作家は、「…

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