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墨子
ぼくし
作品ID48312
著者幸田 露伴
文字遣い旧字旧仮名
底本 「露伴全集 第十八卷」 岩波書店
1949(昭和24)年10月10日
初出「岩波講座 世界思潮 第二册」岩波書店、1929(昭和4)年7月
入力者しだひろし
校正者大沢たかお
公開 / 更新2011-02-26 / 2014-09-21
長さの目安約 42 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 墨子は周秦の間に於て孔子老子の學派に對峙した鬱然たる一大學派の創始者である。
 墨子の學の大に一時に勢力のあつたことは孔子系の孟子荀子等が之を駁撃してゐるのでも明白で、輕視して置けぬほどに當世に威[#挿絵]を有したればこそ孟子荀子等がこれに對して筆舌を勞したのである。それのみならず人間の善惡を超越し是非を忘却するやうなことを理想としたかの如き莊周でさへも墨家に論及し、それから又手嚴しい法治論者の韓非までも墨家を儒家と列べて論じてゐる。此等の事實は皆墨子の學が少からざる力を當時に有してゐたことの傍證であつて、秦以後の書の孔叢子、淮南子、史記、漢書、七略等に見えてゐることと、その前の尸子、晏子春秋、呂覽等に散見してゐることとを除いても、墨子の本書に、墨子の弟子禽滑釐等三百餘人が墨子の道の爲に守禦の器を持して宋の爲に楚を防がんとしたことが、魯問篇に見えてゐるし、又墨子の弟子の公尚過といふものは越王に優遇され、越王は墨子を故の呉の地方五百里を以て封ぜんことを申出し、又楚の惠王、魯陽文君等は墨子を崇敬し、衞、宋、魯等の君も墨子を尊んだことは本書の各篇に見え、墨子の弟子は禽滑釐を首として、高石子、縣子碩、耕柱子、魏越、管黔敖、高孫子、治徒娯、跌鼻、曹公子、勝綽、彭輕生、孟山譽、王子閭等は皆墨子に道を學び、或は道を問うたものであることは本書に見え、漢書藝文志、呂覽等によれば、隨巣子、胡非子等は墨子の弟子で書を著はし、禽滑釐の弟子には許犯、索盧があり、許犯の弟子には田繋があり、胡非子の弟子には屈將子があり、其他、韓非子、莊子、呂覽等によれば、墨子の學系には、田[#挿絵]子、相里勤、相夫子、[#挿絵]陵子、苦獲、相里氏の弟子の五侯子、それから孟勝、田襄子、腹※[#「享+(廣−广)」、U+2A3C6、174-5]、徐弱、謝子、唐姑果等を指摘し得る。是の如くに墨子の弟子又は再傳三傳の弟子を二千年前の昔に指摘し得ることは、墨子の道の盛行したことを語るもので無くて何であらう。
 墨子を孔子と同列のやうに取扱つたのは、早く韓非子の時からで、韓非子顯學篇に、既に儒墨と併稱して、八儒三墨と其の流派を擧げてゐる。儒の至る所は孔丘なり、墨の至るところは墨[#挿絵]なり、と韓非子が言つてゐるのであるが、是の如く墨子を孔子と併べ稱したのは、墨子の道が孔子の道の如くに天下に顯然としてゐたからでもあるが、一つは又孔子の道が世を救ひ人を正しうするに在る如く、墨子の道もまた世を救ひ人を正しうするに在つて、聖賢を稱揚し、道徳と政治とに兼ね亙つてゐること、相似通ふところがあるからに本づいたのでも有つたらう。で、後に至つて韓退之の如きは孔墨を論じて、其道は相戻るほどの鴻溝大嶺が其間に存するのでは無いとして、余おもへらく辯は末學の各[#挿絵]其師を售るを務むるの説に生ず、二師の道の本より然るに非ざる也、孔子は必…

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