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遊羽雑感
ゆううざっかん |
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作品ID | 48320 |
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著者 | 大町 桂月 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會 1922(大正11)年7月9日 |
入力者 | H.YAM |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2008-10-04 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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一
古來、奧羽は、日本武尊を始めまつり、田村將軍、源頼義、義經など、英雄豪傑が武を以て王化に浴せしめたる處とのみ思ひしは、げに皮相の謬見なりき。われ山寺に遊びて、始めて知る、前九年の役に先だつこと凡そ二百年、早や已に絶代の聖僧慈覺大師が、徳を以て奧羽の人を救ひたりしことを。大師は、實に千年の前に立石寺を創めて、衆生を濟度したる聖人也。山寺名勝志に據れば、大師は、最上川の御殿と稱する處を開鑿して瀦水を排し、沮洳卑濕なる村上四郡を耕田と爲せり。なほ麻布製造の法をも教へたりとの事也。仰ぐべきかな慈覺大師。
二
山は必ずしも高きを尚ばず、樹あるを尚ぶといへり。國土は必ずしも、大政治家、大實業家、大軍人を出だすを尊しとせず、大徳の聖人を出だすを尊しとす。
三
山寺に芭蕉翁の蝉塚あり。彼の有名なる『閑かさや岩にしみ入る蝉の聲』の句は、翁が山寺にて作りたる也。余は翁の『五月雨を集めて早し最上川』の句を愛す。山形人士の舟遊に伴はれて最上川に遊びしに、人あり、水に臨める、宏壯なる家を指して曰く、芭蕉翁、當年かの家に宿れり。その筆蹟、今なほ存すと。われ思ふに、才にて進みたるの極は所謂上手也。才を離れて、始めて所謂名人となるを得べし。何事も、名人の域に達すれば、共に談ずるに足る。翁の如きは、俳の聖也。即ち名人の域に達したる人也。
四
天狗巖、五大堂、釋迦堂、南院の堤を山寺の四大觀と稱す。余は南院の堤より立谷川を隔てて山寺を仰ぎて以爲へらく、天下の絶景なりと。人の心は、さま/″\也。山寺を箱庭的といふ者もあらむ。箱庭的といふとも、これくらゐ面白き箱庭的の處が他にあるかと云ふ者もあらむ。垂水巖に、蜂巣の如く穴あきたるが面白しと云ふ者もあらむ、それは兒戯的なりと云ふ者もあらむ。猫石眞の猫の如しと喜ぶものもあらむ。塔岩最も奇なりと喜ぶ者もあらむ。楓川の紅葉、藤花、霰、雷神諸瀑を見ずんば、山寺の美を談ずべからずと云ふものもあらむ。石橋の奇、天下に冠絶すると云ふものもあらむ。余は望む、南院の堤に、せめて茶亭あれ。茶亭に酒あらば、なほ更よし。河鹿わが爲に歌ひ、清流天上の凉味を傳ふ。山寺の一山、すべてこれ寺院堂塔のみにもあらず。すべてこれ奇巖怪石かと見れば、奇巖怪石のみにあらず。すべてこれ老松巨杉かと見れば、老松巨杉のみにもあらず。雲烟その間に搖曳す。小景とは云ふべからず。奇景とのみも云ふべからず。たゞ/″\天上の仙閣の趣とは、斯かるものかと思はるゝ也。時には、このやうなる野趣もあらむ。
牛洗ふ人いとけなし夏の川
(明治四十二年)