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恋妻であり敵であった
こいつまでありかたきであった
作品ID48324
著者薄田 泣菫
文字遣い新字旧仮名
底本 「泣菫随筆」 冨山房百科文庫、冨山房
1993(平成5)年4月24日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-06-18 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 中央公論の二月号と三月号とに、文壇諸家の交友録が載つてゐました。そのなかに正宗白鳥氏は今は亡き人の平尾不孤、岩野泡鳴二氏を回想して、二人とももつと生きてゐたら、もつと仕事をしてゐただらうに、惜しいことをしたものだと言つてゐました。ほんたうにさうで、二氏はそれぞれ異つた才分をもつてゐて、どちらも長生をすればするほど、それが成長してゆく性質のものだつたのを思ひますと、殊に痛惜の念に堪へません。私は二人ともよく知つてゐましたが、岩野氏は生前すでに一家を成してゐた人だけに、交際も広く友人知己も多かつたのに比べて、平尾氏のはうは、どちらかといふと人間が陰気で、引つ込み思案で、おまけに名前も売り出さないうちに亡くなつたので、今では知つてゐる人も僅かしか残つてゐません。今日はその平尾氏について少し語つてみたいと思ひます。氏の短い一生は、いろんな意味で感慨の深いものがありますから。
 平尾氏が早稲田の文科を卒業後、初めて見つけた勤め口は、大阪の造士新聞といふ小つぽけな週刊新聞でした。造士新聞は今は大阪のある郊外電鉄の専務取締、その当時は弁護士の紀志嘉実氏が、貧しい青年学生を収容するために設けた造士寮の機関新聞でしたが、平尾氏は編輯するやうになつてからは、際だつて文藝の色が鮮やかに見られるやうになりました。
 その造士寮には、今中山文化研究所で花形のS医学博士なども、大阪医専の学生としてゐられたやうでした。女学生も三人ばかしゐましたが、そのなかのOさんといふのに、平尾氏が恋をしました。Oさんは金沢在の生れで、朝鮮にもゐたといふことでしたが、いかにも雪国の生れを思はせるやうな、しつかりした、理智の勝つた、主我的で打算的なところの見える婦人でした。その頃Oさんは梅花女学校に通つてゐました。キリスト信者の多いあの学校のなかで、平気で自分の机に小さな仏壇を入れて、仏様を祠つてゐたといへば、その気性のほども大抵察しられるだらうと思ひます。
 Oさんは、打ち明けられた平尾氏の恋を聞くと、苦しさうに顔色を変へました。誰にも隠してゐたことですが、実をいふとOさんは亭主持ちの体でした。しかもその亭主といふのは、自分の肉親の叔父で、Oさんは乱暴なこの叔父さんのために自分の童貞を汚され、おまけに子供まで持たせられてゐたのでした。思へば思ふほど、自分の一生を蹂躙した男性といふものが憎くて憎くてたまらず、どうかしてかうした不倫の関係から遁れて、女一人で自ら活き自ら教育したいと思つて誰にも知らさず、これまで住んでゐた朝鮮の家を振り捨てて大阪に身を寄せてゐたのでした。Oさんはこんな身体でしたから、人目に子持だなと気づかれるのが恐ろしさに、寮に入つてからまる二年といふもの、女友達がどんなに誘つても、何とかかとか辞柄を設けて、一度だつて一緒にお湯には入らなかつたさうです。Oさんは平尾氏の前に、隠さず自分の過…

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