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春の賦
はるのふ
作品ID48326
著者薄田 泣菫
文字遣い新字旧仮名
底本 「泣菫随筆」 冨山房百科文庫、冨山房
1993(平成5)年4月24日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-06-18 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        一

 また春が帰つて来た。
 病にかかつてこのかた、暑さ寒さが今までになくひどく体にこたへるので、夏が来ると秋を思ひ、冬になると春を恋しがる以外には、何をも知らない私は、ことしの冬が近年になく厳しからうとの前触れがやかましかつただけに、まだ冬至も来ないうちからどれほど春を待ちかねたことか。とりわけこの三、四年、病気と闘ふ気分のめつきり衰へてきた私は、自分の病躯に和やかな、触りのよい春を見つけるか、また秋を迎へるかすることができると、そのたびごとにほつとして、
「まあ、よかつた。一年振りにまたこんないい時候に出会すことができて……」
と、心の底より感謝しないではゐられなかつた。

 いつも家の中にのみ閉ぢ籠つて、門外へは一歩も踏み出したことのない私は、春が来たからといつて、若い人たちと同じやうに、まだ見ぬ花を尋ねて、あちこちと野山を歩きまはるといふでもないし、また以前よくやつたやうに世間に名の聞えた、もしくはあまり知られてゐない老樹大木を尋ねて、そことしもない旅に上るといふでもない。ただ庭つづきの猫の額ほどの圃を幾度か往き戻りしながら、あたりをじつと見まもるまでのことだ。
 草は草で、天鵞絨のやうな贅沢な花びらをかざり立てて、てんでにこつてりしたお化粧をした上に、高い香をそこら中にぷんぷんと撒き散らし、木は木で、若々しい枝葉を油つこい日光の中へ思ふさまのびのびと拡げて、それぞれみづからの生命を楽しんでゐる和やかさ。それを見てゐると、生きることの悦びは、そこらの枝に来合せてゐる鳥のさへづりや、蜜をもとめて花のなかを飛び交してゐる蜜蜂の鼻唄めいた唸りと一緒に交り合ひ、融け合つて、私の心のうちに滴り落ちるので、ともすれば陰気に曇らうとする私の感情のくまぐままでもが、覚えずぱつと明るくならうとする。
 今そこらに芽を出したばかりの若草は、毎日のやうに寸を伸ばしていつて、やがて女の髪のやうに房やかになることだらう。私はそれを踏むのが好きだ。素脚の足の裏につめたい、やはらかな、擽るやうな感触を楽しむことができるのも、もうほどなくのことらしい。
 むかし晋の時代に曇始といふ僧があつた。またの名を白足和尚と呼ばれただけあつて、足の色が顔よりも白く滑らかで、外を出歩く時雨上りの泥水の中をざぶざぶと徒渉りしても、足はそれがために少しも汚されなかつたといふことだ。私の足は和尚のそれとは異つて、色が黒く、きめが粗いやうだが、やはらかい若草の葉を踏むと、すぐに緑の色に染まるので、私はそれを見て自分の足の裏からも若やかな春を感じ、春を味はふことができようといふものだ。

        二

 春はすべてのものに強く働きかけようとしてゐる。

 いつの時代のことだつたか、支那に馬明生といふ人があつた。そのころ仙術といふものが流行つて、それに熟達すると、ながく老といふこと…

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