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烈婦
れっぷ |
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作品ID | 48336 |
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著者 | 高田 保 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「日本の名随筆 別巻53 川柳」 作品社 1995(平成7)年7月25日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2009-06-18 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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「世界情勢吟」と題して川柳一句をお取次ぎする。
国境を知らぬ草の実こぼれ合い
なんと立派なものではないか。ピリッとしたものが十七字の中に結晶している。ところでこれがなんと、八十三歳のお婆さんのお作なのだ、驚いていただきたい。
井上信子、とだけではわかるまい。が井上剣花坊の未亡人だといったら、なるほどと合点なさるだろう。「婦人朝日」誌上で紹介されていたのだが、こぼれ合う草の実こそは真実の人間である。真実の人間同士の間には国境などというあざといものはありゃしない。
この草の実のこぼれ合いを眼の中に入れてないところに、世界の政治の愚劣さがある。侵略とか防衛とかいうが、一たびこの十七字の吟ずるところに徹して考えるがいい。人間のあさましさ、百度の嘆息をしても足りぬことになるだろう。この句のこの味、もしもそっくり伝えられるものなら翻訳してもらって外国へも紹介したい。もう一寸早ければ、ダレスさんにお土産としてもって帰っていただきたかったところだ。
八十三歳の老婦人にしてこれほどの「世界情勢吟」をするのだから、日本の文学者諸君はさぞかし、と外国人はおもうかもしれぬ。そうなるとしかしこれは一寸困る。日本文学というやつは大体が政治嫌いでしてと、いろいろ特殊な伝統の説明などして、依然安閑たる文壇風景を弁解しなくてはなるまい。ペンクラブへは代表を出すのだが、世界の他の文学者諸君とは生活がちと違うのである。
だが、これからもなお「日本的」であっていいのか? もしも「世界的」にと明日を心がけるなら、やはり世界の問題へ目を向け頭を向け、草の実のこぼれ合うこまかい気を配って、文学は文学なりの「世界的発言」をせずばなるまい。税金の問題よりゃ戦争の方が実は却って身近の大事なのである。文芸家協会など、これに対してどう動いているのであろう。
井上信子老女史は、戦争中にも警察へ引っぱられたりしたのだそうである。「手と足をもいだ丸太にしてかへし」という句などがお気にさわったらしくと、今は笑っていられるのだそうだが、私などあの戦争中の自分を省みて恥かしくおもう。それだけに今度はもう自分を恥かしめるようなことはしたくないと考えている。だが老女史がその私の決心をからかうようにこう吟じられているのだ。
どのように坐りかえてもわが姿
老女史はこれを「最近の心境」として示されているのだが、女史の姿の変らぬのは立派である。しかし私はぜひとも坐り直し別な姿にならねばならぬ。同感の士なきやいかに。
私は久しぶりに「烈婦」という文字を、この老女史でおもい出した。
(二・二〇)