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シベリヤの三等列車
シベリヤのさんとうれっしゃ
作品ID48338
著者林 芙美子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻51 異国」 作品社
1995(平成7)年5月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-04-13 / 2014-09-21
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 1信
 満洲の長春へ着いたのが十一月十二日の夜でした。口から吐く息が白く見えるだけで、雪はまだ降つてゐません。――去年、手ぶらで来ました時と違つて、トランクが四ツもありましたし、駅の中は兵隊の波で、全く赤帽を呼ぶどころの騒ぎではないのです。ギラギラした剣附鉄砲の林立してゐる、日本兵の間を潜つて、やつと薄暗い待合所の中へはいりました。此待合所には、売店や両替所や、お茶を呑むところがあります。五銭のレモンティを呑みながら、見当もつかない茫々とした遠い道筋の事を考へたのですが、――「此間満鉄の社員が一人、ハルピンと長春との間で列車から引きずり降ろされて今だに不明なんですがね」とか、「チチハルの領事が惨殺されたさうですよ」なぞと、奉天通過の時の列車中の話です。あつちでもこつちでも戦争の話なのですが、どうもピリッと来ない。――兎に角、何処に居ても死ぬるのは同じことだと、妙に肝が坐つて、何度もホームに出ては、一ツづつトランクを待合所に運んで、私は呆んやりと売店の陳列箱の中を見てゐました。去年は古ぼけた栗島澄子や高尾光子の絵葉書なんか飾つてあつたものですが、そんな物は何も無くなつてゐて、いたづらに、他席他郷送客杯の感が深いのみです。
 こゝでは満洲人のジャパンツーリスト社員に大変世話になり、妙に済まなさが先きに立つて、擽つたい気持ちでした。こゝだけでも二等にされた方が良いと云ふ言葉をすなほに受けて、長春ハルピン間を二等の寝台に換へました。不安でしたが、やつぱり金を出しただけの事はあるなんぞと妙なところで感心してしまつたりしたものです。
「内側からかうして鍵をかつておおきになれば大丈夫ですよ」
 若い満人のビュウローの社員は、何度となく鍵を掛けて見せてくれました。こゝからはロシヤ人のボーイで日本金のチップを喜ぶと云ふ事です。で、やれやれこれでよしと云つた気持ちで鍵を締めて、寝巻きに着かへたりなんぞしてゐますと、何だか山の中へでも来た時のやうに遠い耳鳴りを感じました。四囲があまり静かだからでせう。此列車からホームまではかなり遠いのです。列車が動き出しますと、満人のボーイが床をのべに来てくれます。此ボーイは次の駅で降りてしまふので、床をのべに来る時、持つて来た紅茶の下皿に拾銭玉一ツ入れてやりました。やらなくてもいゝと聞きましたが、大変丁寧なので、やりたくなります。
 四人寝の寝台が私一人でした。心細い気もありましたが、鍵をかつて寝ちまふ事だと電気を消さうと頭の上を見ますと、私の寝室番号が何と十三です。それにハルピンに着くのが明日の十三日、私は何だか厭な気持ちがして、母が持たしてくれた金光さまの洗米なんかを食べてみたりしたものです。迷信家だなんて笑ひますか、今だにあの子供のやうな気持ちを私はなつかしく思ふのですが……。十三日の朝八時頃、何事もなくハルピンに着きました。折悪しく私…

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