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日記
にっき
作品ID4834
副題17 観劇日記(一九二九―一九三〇年)
17 かんげきにっき(せんきゅうひゃくにじゅうきゅう―せんきゅうひゃくさんじゅうねん)
著者宮本 百合子
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本百合子全集 第二十四巻」 新日本出版社
1980(昭和55)年7月20日
入力者柴田卓治
校正者青空文庫(校正支援)
公開 / 更新2016-12-01 / 2016-09-09
長さの目安約 36 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一九三〇年のソヴェート舞台芸術に於ける特徴

一、まわり舞台の一般的利用、
М・Х・А・Тの「復活」、全然日本のかえし。
メイエルホリド「バーニャ」或幅だけ円形線をとってそれをまわす。
上から見ると[#挿絵]
 革命座「パルトビレト」のは更に小規模な部分的作業で
 この壁がせり出して来て右へぐるりとまわると、かげからカルチーナ〔絵〕が出て来る。
[#挿絵]

 問題
 つり上り、(ワフタンゴフの例もある)まわりその他дом печать〔出版の家〕でもやったがこういうセットの動かしかたと本当のメカニズムとの問題。自分は今ソヴェト劇のこの点に疑問がある。例えばメイエルホリドの「ウェリコドゥーシュヌイ・ラゴノーシェッツ」〔「寛大なコキュ」〕の風車はよく分る、がワフタンゴフの立ってるテーブルの意味がわかるか?
 主題――テーマ――

一九二九年十二月二十九日 メイエルホリド劇場〔入場券、配役表貼付〕
「森」
「検察官」はメイエルホリドのもって居る病的なところ、デカダンなところ、濃厚さと全的に披瀝したものだ。
「森」は云わば話し上手が、活々と、単純にノンセンスな、ユーモアと一種のリリシズムをもって女地主の家に起った話をして居るようだ。色彩がある、例えば月夜スチャストリーヴェツ〔仕合せ者〕(丸まっちくって極めてロシア式ルンペンである)と、花束をもって、まるで陶器人形みたいな紫花模様の服をつけた家政婦のウリタが「上ったり下ったり」にのっかって遊んで、幸福者がふわふわ裾のウリタを宙のりさせるところ。
 ガルモシュカ[#アコーデオン]をペートルが弾いて、感情を現し、若い二人が高揚した心持で庭のグルグル廻りにのってまわり、又ガルモシュカを弾く。非常に素朴で居て、まるで誇張はなく流露的な恋愛場面。
[#挿絵]
 音(=リズム)・運動のうまい動的な結びつけかた。例えば多くの音楽はただリリシズムの役にだけ立って、このように極めて内在的な感情リズムの表現には、これまでつかわれて居ない。
 不幸な男が若い二人に同情して、よくばりの商人(恋人ペーチャの親爺)をバンバンいきなりトタンのなまこ板をふりまわしておどしつけ、とり上げた金を、おば・女地主にやったのを、又おばをおどしつけ(それのピストルのつかいかたが又極めて無邪気で、ノンセンスだ)金をとりあげて二人を一緒にしてやる。
 最後の場面、ガルモシュカの音につれて若い二人が静かにこの高い橋=人生の橋をのぼって去るところで幕になる。なかなかよい。
[#挿絵]

 ○これを見ると、メイエルホリドが決してレビゾールにあるような気の遠くなるような、肉感だけしか理解しない人間ではないことが分る。この恋愛の場面の単純な美しい健康なあつかいかたは、実にリズミカルで、集約的で、滅多にないよきラヴシーンと思った。ここ忘れがたい。舌づつみをうつような味だ。
 …

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