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後記〔『炉辺夜話集』〕
こうき〔『ろへんやわしゅう』〕
作品ID48342
著者坂口 安吾
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂口安吾全集 03」 筑摩書房
1999(平成11)年3月20日
初出「炉辺夜話集」スタイル社出版部、1941(昭和16)年4月20日
入力者tatsuki
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-10-13 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「炉辺夜話集」といふこの本の題名は、この本にあつめられた五ツの物語に対して、作者がどのやうな心持をもつてゐるか、それを率直に表しもし、又、ある意味では、作者が文学そのものをどのやうなものに考へてゐるかといふことを、率直に露呈もしてゐます。
 つまり私は、この題名が示す通り、人々が、炉辺のまどゐの物語をきくと同じなつかしさで読み、そのやうな感情の中で心に残り、さうして、目に見えぬ小さな肉のひときれとなつて、これを読んだ人々の生活のなかに残つてくれれば幸福だと考へてゐます。
 元来、私は、文学とは、人の心をすこしでも豊かにすればいい、人の生活をすこしでも高める力となればいい、さう考へてゐました。昔も今も、この考へに変りはありません。
 かりにあなたが、いま、戦場にゐるとします。あなたはいま戦つてきました。まぢかに、戦友の戦死も見ました。さうして後方へ帰つてきて、久方ぶりに夜をてらす燈火の下に辿りついて、安息のひとときを得ました。
 さういふとき、疲労につかれて、ぐつすり眠るのでないとすれば、人々は娯楽をもとめると思ひます。宗教の本を読む人もあるかも知れません。戦争文学を読む人もあるかもしれません。然し、なかには、大きな人性の底にふれた、静かな、ゆたかな物語が、読みたいといふ人もあらうと思ひます。
 私は、さういふ時にも、読むに堪へうるやうな、人性の底からにぢみでた珠玉のやうな物語を書き残したいと思つてゐます。
「炉辺夜話集」の物語が、そのやうな珠玉の物語だといふのではありません。私のやうな未熟者が、まだ、そのやうにすぐれた仕事を残しうる道理がないのです。すぐれた魂の人々が、生も死も忘れた曠野から帰つてきて、燈火の下で、許るされたわづかの時間に、はるかな心、はるかな虚しさをいやさうとする。――それに堪へうる物語が、どんなに深くなければならぬか。わが身のまづしさを考へて、私は、うんざりしてゐます。
 けれども、とにかく、私が書き残さうと意図してきた物語は、その意図に於て、常にそのやうな物語でありました。戦場のみとは申しません。あらゆるとき、あらゆる虚無の深淵にのぞんで、読まれうる物語が書きたいといふ、私の念願はただそれのみでありました。
 私は常に「美しい物語」が書きたかつた。私は常に「美しい物語」のことを考へてゐた。――美しい物語とは、決して、美男美女の恋物語といふことではありません。
 私達の生きる道には、逃れがたい苦悩があります。正しく、誠実に生きる人に、より大いなる苦悩があります。さうして、ひとつの苦悩には、ひとつづつのふるさとがあります。苦悩の大につれて、ふるさとも亦、遠く深くなるでせう。そのふるさとが、私の意図する物語のただひとつの鍵であります。
 けれども、私の苦悩はまだすくなく、それゆゑ、私のふるさとは、至つて浅いといふことを申上げずにはゐられません…

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