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女中訓
じょちゅうくん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「羽仁もと子著作集第九巻 家事家計篇」 婦人之友社
1927(昭和2)年7月20日、1966(昭和41)年7月1日新刷
入力者蒋龍
校正者Juki
公開 / 更新2017-04-07 / 2017-03-11
長さの目安約 54 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


大正元年十月初版


[#改ページ]


福々しき身の上となるために



 第一には容易に腹を立てないこと、第二には他人をうらやまないこと、第三には時とものとをむだにしないように働くこと。この三ヵ条を忘れなければ、誰でもかならず福々しい身の上になることができます。
 人は一生食べるだけのものを持って生まれているのだともいい、ものを粗末にする人は、年とってから乏しい目をするともいいます。そんなことはあるまいと思う人もあるようですが、よく考えてみると、ほんとにそうだということがわかります。考えてみてくださいませ。私たちは正直に働いていると、だれにでもよく思われて重宝がられるので、食うに困るというようなことはありません。しかしまた人ひとりの働きにはかぎりがあります。どんな人でもそうそう贅沢ばかりして一生を過ごされるものではありません。人間というものは多くもなく少なくもなく、ちょうど一生食べるだけのものをさずかって生まれているのでしょう。その中から粗末にものを捨てたりすると先になって食べるものもなくなるわけです。道具を粗末に扱って早くこわすのも、やはりさずかりものを粗末にして捨てるのです。ひとのものを粗末にしたからといって自分のものが減るはずはないと思うのはまちがいです。習慣というものはおそろしいもので、ことに若い時にしみこんだ癖は、決して一生ぬけるものではないのですから、主家のものをうっかり粗末にしていた人が、自分の世帯になったから、これから倹約にしようと思っても、なかなかそうはいかなくなって、ついつい一生むだをすることになります。悪気はもちろんなくても、面倒くさいと思っては、ものをむだにするのは、自分のさずかって来た一生の宝の中から、日日むだをしただけのものを捨てるようなものです。一生あれも足らない、これも足らないと思って暮らすようになるのはもっともなことだと思います。十代の時よりは二十代、二十代の時よりは三十代、もっと年をとったらなおさらというように、だんだん福々しい身の上になろうと思うなら、少しのものでもむだにしないようにと、毎日せいぜい気をつけるようにするのが何よりも大切です。
 ものをしまつにする術を知らないで、一生乏しい乏しいで終わったものの子供は、生まれながらに福分うすく、一代で身上を起こしたというような人は、その親であった人も、またその親の親であった人も、代々心掛けよく暮らしたために、福分をたくさんにその子供にのこしたのだろうと思われます。
 時は金だということは、よくいうことで、時間をむだにするのは、金を捨てるのとおなじこと、ものをむだにするのとおなじことです。時をむだにすることはなまけることで、時をむだにしてなまけると、貧しくなるのは誰でも知っていることです。主家の時間だからと思わずに、若い時にせっせと働く習慣をつ…

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