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![]() ごこうさつじんじけん |
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作品ID | 4841 |
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著者 | 小栗 虫太郎 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「二十世紀鉄仮面」 桃源社 1969(昭和44)年5月10日 |
入力者 | 酔尻焼猿人 |
校正者 | 土屋隆 |
公開 / 更新 | 2004-12-26 / 2014-09-18 |
長さの目安 | 約 49 ページ(500字/頁で計算) |
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一、合掌する屍体
前捜査局長で目下一流の刑事弁護士である法水麟太郎は、招かれた精霊の去る日に、新しい精霊が何故去ったか――を突き究めねばならなかった。と云うのは、七月十六日の朝、普賢山劫楽寺の住職――と云うよりも、絵筆を捨てた堅山画伯と呼ぶ方が著名であろうが――その鴻巣胎龍氏が奇怪な変死を遂げたと云う旨を、支倉検事が電話で伝えたからである。然し、劫楽寺は彼にとって全然未知の場所ではない。法水の友人で、胎龍と並んで木賊派の双璧と唱われた雫石喬村の家が、劫楽寺と恰度垣一重の隣にあって、二階から二つの大池のある風景が眼下に見える。それには、造園技巧がないだけに、却ってもの鄙びた雅致があった。
小石川清水谷の坂を下ると、左手に樫や榛の大樹が欝蒼と繁茂している――その高台が劫楽寺だ。周囲は桜堤と丈余の建仁寺垣に囲まれていて、本堂の裏手には、この寺の名を高からしめている薬師堂がある。胎龍の屍体が発見されたのは、薬師堂の背景をなす杉林に囲まれた、荒廃した堂宇の中であった。
三尺四方もある大きな敷石が、本堂の横手から始まっていて、薬師堂を卍形に曲り、現場に迄達している。堂は四坪程の広さで、玄白堂と云う篆額が掛っているが、堂とは名のみのこと、内部には板敷もなく、入口にもお定まりの狐格子さえない。そして、残りの三方は分厚な六分板で張り詰められ、それを、二つの大池をつなぐ池溝が、馬蹄形になって取り囲んでいる。更に堂の周囲を説明すると、池溝は右手の池の堰から始まっていて、それが、堂の後方をすぎて馬蹄形の左辺にかかる辺り迄は、両岸が擬山岩の土堤になっている。樹木は堂の周囲にはないが、前方に差し交した杉の大枝が陽を遮っているので、早朝ホンの一刻しか陽が射さず、周囲は苔と湿気とで、深山のような土の匂いがするのだった。
細かい砂礫を敷き詰めた堂の内部には、蜘蛛の巣と煤が鐘乳石のように垂れ下っていて、奥の暗がりの中に色泥の剥げた伎芸天女の等身像が、それも白い顔だけが、無気味な生々しさで浮き出していた。それに、石垣にあるような大石が、天人像近くに一つ転がっている所は、恰度南北物のト書とでも云った所で、それが何んとも云われぬ鬼気なのであった。
法水の顔を見ると、支倉検事は親し気に目礼したが、その背後から例の野生的な声を張り上げて、捜査局長の熊城卓吉が、その脂切った短躯をノッシノッシ乗り出して来た。
「いいかね法水君、これが発見当時その儘の状況なんだぜ。それが判ると、僕が態々君をお招きした理由に合点が往くだろう」
法水は努めて冷静を装ってはいたが、流石心中の動揺は覆い隠せなかった。彼は非度く神経的な手附で屍体を弄り始めた。屍体は既に冷却し完全に強直してはいるが、その形状は宛ら怪奇派の空想画である。大石に背を凭せて、両手に珠数をかけて合掌したまま、沈痛な表情で奥の天人像に向って端座…