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親馬鹿の旅
おやばかのたび |
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作品ID | 48423 |
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著者 | 大町 桂月 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會 1922(大正11)年7月9日 |
入力者 | H.YAM |
校正者 | 小林繁雄、門田裕志 |
公開 / 更新 | 2008-09-06 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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金さへ返せば、鬼も佛。重荷の一部がおりたかと思へば、我心も輕くなり、金なほ餘れるに、家に歸るより早く、さあ來い、何處へでも、伴れて行つてやらうと、次男と三男とをつれて、立ち出でたり。長男は、近く箱根へつれて行きしことあり、學校の都合もあり、殊に、この日、家にあらざりければ、つれざる也。
さて、都を離れて、何處へゆけば子供は面白がるかと、いろ/\考へしが、江の島は、山もあり、海もあり、貝細工あり、鮑取りもあれば、子供をつれての旅は、これに越したる處はあらざるべしとて、江の島へと思ひ定めて、新橋より汽車に乘る。
まだ次男が八歳、三男が六歳の時の頃也。風寒ければ、汽車の窓は開かず。玻璃越しに、山を眺め、海を眺め、田を眺め、茅屋を眺め、煙突を眺め、荷車を眺め、行人を眺めて、喜びあひしが、冬の日脚低く、夜に入りて、江の島に到りて宿る。晩食の膳に大いなる鰕上りけるに、兒等いたく喜べり。
あくる日、起き出づれば、太陽將に海洋の彼方に上らむとす。日の出を見よと、二兒を呼び起す。二兒、眼をこすり/\日の出を眺めけるが、さまで喜べる樣も無し。二兒をつれて、濱邊を散歩しけるに、一艘の漁舟、沖より歸りしばかりにて、漁せし鰕、少しばかり舟に有り。それを買ふ。これで少しは喜べるさま也。
朝食を終へて稚兒ヶ淵にいたる。この日の遊客にて、こゝに來れるは、我等が『い』の一番也。鮑取の男、路に要す。一人許せば、又一人來る。それに許せば、又一人來る。うるさくて、拂ひ切れず。終に一同にとらすことにす。一同齊しく海に入る。巉巖怒濤の間に泳ぐを見るが面白かるべしとは、子供の心を知らぬ親馬鹿の料簡、まだ水泳を知らぬ二兒は、さばかり面白がりもせず。やがて、數個の鮑を採りて來りたれど、さきに鰕を買ひし如くには、喜びもせず。洞窟に入りても、喜びはせざるべしとて引きかへせば、一人の男、鰕を取つて來るから、錢をくれよといふ。錢をやりて久しく待ちしに、上り來りて曰く、今日は、鰕居らず、これにて許されよとて、海草を出す。子供は益[#挿絵]よろこばず。あざむかれて、腹立だしくもあれど、取つて來ぬ前に錢をやりしが、こちらの失策とあきらめ、貝細工を擇ばせて買ひてやりしに、さまで喜べるさまも無し。
鎌倉に行かば、喜ぶこともやとて、長谷の大觀音と大佛とを見せけるに、これでも喜べる樣はなし。この模樣ならば、八幡宮、鎌倉宮へ行きたりとて喜びはせざるべし。箱根へでもつれて行かば、或ひは喜ぶこともやとて、箱根にいたり、塔ノ澤の温泉宿に投ず。一度つれて浴湯にゆきしに勝手を覺えて、二兒自から相伴うてゆく。翌朝も、また食前に、我を待たずして行き、食後もまた行く。往いてのぞけば、二人にて、ちやぶ/\湯をかきまぜて、それで非常に喜べるさまなるに、われも始めて滿足す。何が一番面白かりしぞと問へば、湯をかきまぜるが、一番面白しといふ。そこ…