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宗吾霊堂
そうごれいどう
作品ID48425
著者大町 桂月
文字遣い旧字旧仮名
底本 「桂月全集 第二卷 紀行一」 興文社内桂月全集刊行會
1922(大正11)年7月9日
入力者H.YAM
校正者雪森
公開 / 更新2020-08-03 / 2020-07-27
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

西の琴平、東の成田不動、汽車をひかへて、參詣者年に數十百萬の多きに及ぶ、迷信の絶えぬ世なる哉。天慶の亂、寛朝、成田に不動尊をもち來りて、平將門を調伏せりとて、貞盛、秀郷の功を奪ひ、もち歸らむとするに、重くなりて動かずと欺きて、勅命を博して寺を建つ。道譽もと愚鈍なりしも、こゝに參籠持念して、大智の人となりたりなどと、有難みを付けて、靈驗今に顯著也。神佛の御利益、無しと思へば無し、有りと思へば有り。好運を得れば御利益と有難がり、得ざれば信心が足らぬと諦め、死ぬべき處を、御利益のおかげにて怪我ですみたりと自から慰めて、げに神佛の徳は、廣大無邊也。鰯の頭を拜するも、佛像を拜するも、進んで主義を奉ずるも、己れを信ずるも、つまる處は、安心を得て、活動力を増すに外ならず。道學先生よりは、稻荷の穴の狐の方が、ひろく世を益し、今の世の自稱神佛の輩よりは、成田不動が更に大いに人を救ふ也。
 東京より成田に赴かむには、上野よりしてもよく、兩國橋よりしてもよし。兩國橋驛を午前七時に發すれば、千葉、佐倉を經て、九時三十分に着し、上野驛を午前七時二十分に發すれば、千住、我孫子、安食を經て、九時二十分に着す。賃錢はいづれも、三等が七十二錢、宗吾靈堂へまはるも、らくに、日がへりが出來る也。
 成田停車場は、成田の町の南端に在り。汽車を下りて北に、旅店酒樓の間を往くこと七八町、坂を下れば更に丘陵ありて、不動堂之に據る。石橋をわたれば、石路通ず。左に新勝寺の本坊あり、右に三佛堂あり。石段を上れば、仁王門あり。巖石峨々たるの處、瀑かゝり、池あり。橋をわたり、石段を上りて、不動堂に達す。右に三重塔あり。堂の後ろも、巖石峨々として、石段左右に通ず。上れば、光明堂あり。これ奧の院也。こゝに至るの門、種々の燈籠銅佛、その數を知らず。講中の名を刻したる石碑の多きこと、眼幾んど應接にいとまあらず。僅々二三百圓のはした金を石に記するものも多し。似而非風流の人は、靈場をけがすなどと云へど、こんなものまでも受けて平氣なるが、不動尊の佛徳の廣大なる所以也。
 光明堂のある處は、岡の頂上也。木立あり。右にゆけば、梅林あり、櫻も多く、喬松立ちつらなりて、三方の眺望ひらけたり。
 堂の大きさは、堀ノ内祖師堂よりも小なれども、凝りたる建築也。左右の半ばより後ろへかけて、五百羅漢を刻し、精巧をきはむ。形勝の雄、堂宇の美、眞に是れ關東第一の寺也。
 午食は、町の南端の小さな牛肉屋にすまして、車を雇うて宗吾に至る。土地の名は、公津村字臺方なれども、宗吾堂前、一簇の人家のある處、宗吾の名にて通じて、この附近、宗吾と云へば、誰も知らぬもの無し。成田街道の左にあり、成田驛よりするも、その一つ手前の酒々井驛よりするも、いづれも一里内外也。成田に詣づるもの、往きは酒々井驛に下り、宗吾を經て、歸りは成田驛より乘りてもよく、之をあべこべにして…

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