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残雪
ざんせつ
作品ID48460
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「普及版 原民喜全集第一巻」 芳賀書店
1966(昭和41)年2月15日
入力者蒋龍
校正者伊藤時也
公開 / 更新2013-04-17 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 青空に風呂屋の煙突がはっきり聳えてゐた。その左の方に外苑の時計台と枯木の梢が茫と冬日に煙ってゐた。もっと近いところには屋根の入り乱れた傾斜が、一方に雪を残して続いてゐた。雪があるので、そこの二階の縁側からは景色が立体的に見えた。立体的と云へば、この景色を眺めて争ってゐる二人の男の対比もまたさうであった。
 一人はこの春さきの景色が煽情的だと云って頻りに嬉しさうに眺め廻した。一人は彼がそんなに景色にまで愛恋を感じるのがをかしいと云ってそれを笑ひこけた。そして二人はとりとめもなく、こんにゃく問答をしながら、ネクタイを結んで出勤の用意をした。
 それから二人は電車に乗っても依然として争ってゐた。一体、何がそんなに問題の中心になってゐるかと云へば、ことの起りは、一人が女を大へんいいと云ひ、一人が女を大へんつまらないと云ひ出したことからであったが、――かう云ふことを問題にさすに応はしい二月の午後でもあった。
 一人は、海辺で桃の花と牛を眺めながら如何に中学時代恍惚としたか、無人島の松林の蝉の声に如何に魂を奪はれたかと云ふやうな話まで[#挿絵]入した[#「[#挿絵]入した」は底本では「[#挿絵]人した」]。そして二人は東京駅で下車すると、八重洲口の方へ地下道を歩いた。その時、
「何とか彼とか云ひながら、男が金を稼ぐのは、つまり女房のために生活をより修飾するためなのだね。」と一人が云った。
「さうではない、それは大へん面白くないことだ。」と相手が大反対を唱へた。そこで二人のあげつらひは急激に縺れて行った。階段を降りて駅を出ると、もうお互に時間がなかった。で、一人が云った。
「つづまるところ君は肯定狂だよ、何でも彼でも、いい、いい、いい、いい、いい、いい、と云ふぢゃないか。」
「何だい、それなら君こそ否定狂さ、一から拾まで、否、否、否、否、否だ。」
「ハハハハハ」
 そして二人は別れた。肯定狂は美人グラフへ、否定狂はダンスホールへ、それぞれ職場を持ってゐた。



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