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舌
した |
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作品ID | 48463 |
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著者 | 原 民喜 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「普及版 原民喜全集第一巻」 芳賀書店 1966(昭和41)年2月15日 |
入力者 | 蒋龍 |
校正者 | 伊藤時也 |
公開 / 更新 | 2013-04-20 / 2014-09-16 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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四丁目の角で二人を見はぐれたのを幸と、川田はぐんぐん勝手な方向へ進んだ。振返ったらまた彼等がやって来さうなので、傍目も振らなかった。眼は怒り、額は愁ひ、短靴はやたらに急いだが、搾めつけられた胸は今やうやく緩んで来た。高層建築の上に濁った秋空が、茫漠とした観念のやうに横はってゐた。そこに川田は、さっきの議論の続きを感じた。
彼等二人は終に論理の釘で川田を身動きさせなかった。そこへ一人が乱暴に鑿を以て打込んで来た。その上に一人が金槌で叩きつけた。川田の肋骨はために砕かれて、鮮血が迸り出たかと思はれた。一瞬にして永劫の屈辱を受けた者のやうに川田は青ざめて黙った。すると、一人は悠々と食べさしの汁粉を箸で弄び、もう一人は冷めたお茶を啜り出すのだった。そして勘定になると、川田が金を払った。しるこ屋を出ると二人は猶も巫山戯ながら、後から川田に絡みついて来た。何処までも川田の気分を害ねようと、二人で協力してゐるかのやうに。
今、一人きりになって、静かに振返ってみると、川田はとにかく憂欝であった。今日午後の授業が終って、川田が下宿へ帰ると、早くも一人が退屈の押売りにやって来た。焦々してゐるうちに、又一人がやって来た。そこで到頭二人を誘って、三越へ出掛けると、一人が草臥れたので汁粉屋へ行かうと提議した。しるこ屋の二階へ上って、三十分も雑談してゐたところ、突然くだらぬことから議論が燃え上った。始め川田は無鉄砲に応酬してゐると、相手は巧妙に伏兵を使った。思ひがけぬところで辟易いでゐると、相手は矢継早に攻撃にかかった。最初から旗色を伺ってゐた、もう一人は、ここで完全に相手に和した。川田は焦々しながら次第に窮地に追ひつめられた。
結局は論理の遊戯に過ぎなかったのだが、最後に彼等の云った意味を換言すればかうなるのだ、――君の頭脳の構造は歪んでゐる、君は社会及び人類から白痴乃至狂人として取扱はるべき人間だ。
しかし、それならば、何のために彼等は己と交際はうとするのだ。己を侮辱することに依って彼等の優越感を確保するつもりなのか、それとも唯単に、たとへば汁粉を奢らさうとしてであるか。
川田はソクラテスにやりこめられたプロタゴラスに同情しながら、何時の間にか、日比谷公園に来てゐた。と、樹蔭から飛出して来た、一人の少年は川田の顔を見上げて、「バカー」と云った。そして、奇妙な身振りと、素速しこい逃げ腰で、赤い長い舌をぺろぺろと見せびらかせるのであった。