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焚いてしまふ
たいてしまう
作品ID48470
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「普及版 原民喜全集第一巻」 芳賀書店
1966(昭和41)年2月15日
入力者蒋龍
校正者小林繁雄
公開 / 更新2009-07-21 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 紀元節に学校の式を休んで、翌日もまた学校を休んだ。すると、その晩から熱が出て、風邪の気味になった。私は二階の一室に一人で早くから蒲団を被って寝た。ふと、目が覚めると畳の上に白紙のやうなものが落ちてゐる。それは雨戸の節穴から月の光が洩れて来てゐるのであった。私はわざと腕を伸してその光を掬ってみた。それから窓を開けた。もう夜明けらしく、月は西の空に冴えて居て、ひえびえとした大気が、屋根の霜とともに肌に迫って来た。私は寝衣の襟をひらいて、胸一杯さらけ出した。もっと病気が重くなれと云ふやうな自棄気味が、ふと月の光によってそそられたのである。
 その日は昼前から熱が出て、それに咳なども加はった。私は階下で食事を了へるとすぐ二階の一室に転げて暮した。四時頃になると、西日がガラス戸一杯に差込んで、三畳の部屋は温室のやうに暖かになった。私は日の光に曝された蒲団の上で、本などを読んだ。
 次の朝も早くから目が覚めた。すると、昨日と同じく畳の上に月の光が洩れて来た。額に手を置くと、熱く火照って居る。私は始めて、自分の病態の進んだのを後悔した。と云ふよりは妙にもの侘しく切ない気持がした。そろそろ窓を開けると、やはり西の空に月は皎々と照って居る。何故、冬の月は朝になってもあんなに燿るのだらう。私は寝衣一枚で窓側に立って慄へて居た。
 一週間程して私の熱は下った。私は階下の炬燵にあたって暮した。母はもう明日からは学校へ行ってはどうだと云った。私も幾分そんな気になって居た。もう休みたいだけは休んだのだと思った。
 だが、次の日も意気地なく休んでしまった。私は訳のわからぬ憂鬱を感じた。庭に出て薪を割ってみたが、気は紛れなかった。私は二階に閉籠って、日記帳を取上げた。
「こいつを焚いてしまはう。」
「こんなものがあるからいけないのだ。」と私は呟いた。
 私は日記帳を提げて風呂竈のところへ来た。風呂の火に投げ込むと、日記帳は見るまに脹れて来た。やがて頁々がくるくる焦げて巻かれて、心に火が徹って行った。私のこの正月以来の日記が焚かれてゐる、詳しく書いた頁が燃えて居る。ふと私は妙な気になった。
(×月×日、夜姉を停車場に送り、帰って床に寝転んで、ゴオゴリの「死せる魂」を読み耽った。)この一節がふと思ひ出されたのである。別に意味もない部分ではあるが、あそこももう煙になったかなと想はれた。
――中学三年の三学期のことである。



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