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作品ID48495
著者原 民喜
文字遣い新字旧仮名
底本 「普及版 原民喜全集第一巻」 芳賀書店
1966(昭和41)年2月15日
入力者蒋龍
校正者伊藤時也
公開 / 更新2013-04-26 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 鶉居山房と私とは路傍に屈んで洋服屋の若旦那を待ってゐた。別に用事なんかなかったのだが、待ってゐるうちに帰るのがめんどくさくなった。若旦那は今朝から留守なのださうだから、なかなか帰っては来まい。そこの通りは人通りも稀れで静かだった。私達は煙草を吸ってぼんやりしてゐた。その時学校から帰る二人連れの小学生がすぐ側を歩いてゐた。そして、小学生の肩の辺に鳩がたまたま飛んで来た。すると小学生は帽子を脱いで鳩を掬はうとした。鳩は大きな羽ばたきを残して屋根に舞上った。即ち鶉居山房はからからと[#挿絵]ひ出した。「蝶々ぢゃあるまいし、わーい、わーい。」と彼が嬉しがると、小学生はてれてしまった。これで私達は洋服屋の若旦那に逢はないで帰れる機運が生れた。ところが翌日、その洋服屋は何処かへ夜逃げしてしまったのだった。

 私が洋服屋の若旦那に逢へたのは、それから四五年後のことだった。ひどい春雨が降りまくる日、思ひきって彼を訪れてみると、彼はアパートの六畳で運のよくならないのを喞ってゐた。「早い話が、君。」と彼は云った。「この部屋だって屋根が漏るんだからね。」と、彼が天井を見上げると、ひどい降りが亜鉛屋根にあたる音とともに、ぽたぽたと畳に落ちて来る。暫くの間、さうして彼は怨しげに天井と畳を見較べてゐたが、不図雨が漏らなくなったのに気づいた。
「おや、こいつは変だな、たしかに今雨は降ってゐるのだがね。」
 彼が訊ねるまでもなく亜鉛屋根は烈しく鳴ってゐた。
「すると、大きな鳥でも来て屋根に留まったのかな。」さう云って彼はひょいと晴やかな顔をした。



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